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2009年は白洲次郎の言動に注目したい

☆白洲次郎の文章が掲載されている「プリンシプルのない日本」を読むと、戦後日本がどういうビジョンで乗り切ろうとしていたか、その雰囲気が伝わってくる。

☆まさにプリンシプルのない日本においてプリンシプルを貫いた人々を私学人と呼んでいるわけだが、白洲次郎もその一人だ。ただし、私学人といえどもその感じ方やものの見方・考え方はみな違う。

☆ただ受益者である国民や市民や生徒のために非利益的に行動し責任を引き受ける受託者としてTrusteeshipを大いに発揮したという点で共通する。私学人とは、そうした私を無にできる学びを続ける人材のことを言うのだ。

☆こんなTrusteeshipなど、リバタリアン(パーフェクトな自由主義者)であるアイン・ランドなどからは大いに反発を受けると思われるかもしれない。がしかし、ヘルマン・ヘッセではないが、両極端は一致するのである。

☆白洲次郎は、戦争が始まる前に、日本は敗れると決め、鶴川村に引っ越した。晴耕雨読の毎日を送るのだ。この判断力がすごい。その時のことを白洲次郎はこう語っている。

戦争前は日本の全部が自己陶酔だね。一種の・・・・・・。始めはちっちゃな嘘なんだ。ちっちゃな嘘をついて、それがバレそうになると、だんだん嘘を大きくしてゆくんだな。しまいにその嘘をほんとだと自分で思っちゃうんだ。

☆今の時代にそっくりだ。暴力的虚構としての戦争こそ、日本国内では行われてはいないけれど、中東でちゃんと起こっている。日本国内というか先進諸国内で起こっているのは経済的虚構である。そして知識的虚構。このバブルがはじけているのが今である。教育の崩壊が起こっているのがその証拠。

☆戦後この虚構の崩壊後をなんとかプリンシプルを持って建て直そうとしたのが、白洲次郎をはじめとする私学人だった。白洲次郎は、直接的に私学を経営する私学人と連携はしなかっただろうが、吉田茂を通して、良かれ悪しかれ、影響を与えたであろう。

☆吉田茂と大いに議論したのは私学人のリーダー南原繁(自身は私立学校出身ではないが、私学創設のリーダー内村鑑三の弟子という意味で私学人)。白洲次郎の言動がそこにかかわっていないはずはない。

☆大事なことは立場が違ってもプリンシプルにこだわった議論の雰囲気がそこにあったこと。そしてその過程を経て打ち立てられた記念碑が教育基本法であった。この記念碑は、2006年に倒された。

☆その後じわじわと何かおかしいと思っていたことが起きた。そして今、金融危機が顕在化し、精神の危機が露見した。南原繁チーム私学人は、この精神のリスクマネジメントとして教育基本法を成立させたのだった。

☆そういうわけで、教育のTrusteeである私学人は、再び立ち上がらねばならない。白洲次郎の時代の雰囲気を知ることが、それをサポートしてくれるだろう。

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