カリスマ英語教師 田尻悟郎先生の授業の意味
☆カリスマ英語教師田尻悟郎先生を知っている人は多いだろう。そのプロフィールはウェブ上で多くの人が語っているし、田尻先生ご自身のサイトにも載っているので、そちらを参照していただきたい。
☆茂木健一郎氏も語っているように、「先生に教えられて学んだものは本物ではない。自分の力でつかんだものしか残らない。教師の仕事は、子ども達の心を開き、やる気をたきつけること。」それが、田尻先生の信念だ。
☆要は学びの好奇心、モチベーションのトリガーが教師の役割ということ。
☆しかし、そのためには子供が英語を学んでいった先を予想し、そこから逆算して、今ここで子どもたちにどういう英語の学習が必要なのか、どういう学びの素材が必要なのかを計算する必要がある。この技術がまず凄い。
☆しかもこれだけなら、マニュアル化できそうなのだが、結局生徒1人ひとりの学習者心理を洞察する力が必要なのだ。これは一方的洞察ではなく、相互のやり取りの中でアウンの呼吸ができてはじめて成り立つ洞察であるから修行が必要だ。
☆今までは、長期ビジョンに立ちながら、逆算してプログラムを作る能力は学習指導要領に頼っていればよかった。しかし、集団主義の時代が終焉した今、学習指導要領は1つの事例にすぎない。しかし、これが生半可に拘束力を持つから困ったものであり、それをはねのける論理とお上から睨まれないしたたかな戦術も必要とされる。
☆集団主義時代は、学習者心理は洞察しなくてよかった。ついてこない生徒がダメだといっていればよかった。しかし、それでは今では生徒は不登校になり退学してしまう。学校以外にも居場所がたくさんあるからだ。
☆田尻先生ご自身の技は、NHKではないが、プロフェッショナルである。しかし、大きな物語が消失し、カリスマは一時の避難所でしかない時代。ツラトストゥラは弟子をとらなかったが、そういう時代の中で、田尻先生の投げかけるものは何か。
☆それは教師ではなく人間であれというカリスマ性である。それでなければ、田尻先生の技は継承できない。人間論としての教師論。これは文科省の縦組織の中では厄介な哲学だ。
☆だがしかし、田尻先生の技はシステムではなく、教師の人間の魂をゆざぶることであり、その響きは確実に教師魂に共鳴を引き起こす。教育の変化の響きが大きく鳴り始めていることは確かだろう。
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