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時代が求める学校[06] 聖学院<03> 世界標準の知

時代が求める学校[03] 聖学院<02> 入試問題は学校の顔のつづき

☆「できる子は10歳までに作られる創刊2号」(アスコム:ここでいう「できる」とは芸術作品が「出来る」という意味や、「~できる」という可能性の意味で、偏差値が高いという意味ではない)でも触れたが、聖学院のクオリティスコアは筑波大附属駒場と等しい

☆つまり、東大に行くことだけを目的にしなければ、聖学院で相当高い質の教育を享受できるということ。

前にも紹介したが、T-mind(対話思考、IT技術、庭園発想をつなぐ横断知)に満ちた学校だからだ。

☆そして、この横断知のベースが、英語という言語教育で鍛えられる。この教育はおそらく筑駒よりも質が高い可能性がある。というのは、筑駒の英語教育や授業は、学習指導要領内での創意工夫。

☆この点については、カリスマ英語教師田尻先生が、尊敬する筑駒の教師の話を引き合いに出したときの内容で推察できる。要は、田尻先生と同じ発想の考える授業が展開されている。

☆とするならば、聖学院の英語の授業は、もっと質が高い。というのは同じ発想の考える授業を、教科書ではなく、オリジナルのテキストで行っているからである。

☆長文(学習者に合わせてオリジナル)を読んで、推理する問題は、推察力という最も重要な思考力を鍛える。また、解答は英語で話すだけではなく、書くのである。このライティングのプログラムは、中1から高2にかけて、段階的になっていて、英語の力と思考力のレベルを序・破・離(あるいは序・破・急)のリズムで高めていく。

☆特に「英語経験者クラス」や「アドバンスクラス(帰国生中心のクラス)」の生徒は、他の生徒へ良い影響を与えている。彼らの中には進路先を、明確に海外の大学に設定している生徒もいる。

☆この世界標準の知が、対話思考やIT技術(ITを実際の道具として使うだけではなく、ITシステムをアナロジーとした社会問題を考える技術という意味)、庭園発想(自然・社会・精神をつなぐ発想)を結びつけるのである。聖学院の教育は、まさに葡萄の木さながら、世界標準の知が樹液として循環し、豊かな実を結ぶのである。

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