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09年は、太宰治をどう読むかという年

☆昨年、太宰治は没後60年だった。で、今年は生誕100年である。強い意志とは真逆のキャラクターが登場する小説が多いし、ユーモアというかアイロニーというか、三島由紀夫には、たしかに好かれそうもない。

☆だとしても、両者は少なくとも大量消費・大量生産・大量移動が正解だと思って邁進する産業主義者でもない。

☆09年は、あのグリーンスパンも正解ではないと認識される時代である。グリーンスパンがこうだと言ったら、そうなると言われた時代は、なんだったのか?

☆いずれにしても明治以来、誰もが正しいと思っていた産業社会が生みだした金融資本主義危機によって、どうやら違うのではないかという時代がやってきたということだ。

☆とするならば、みんなが正しいと思っていた20世紀社会から排除されかかったり、抑圧されてきた人間はどうなるのか?つまり三島由紀夫や太宰治のような人間というか彼らが書き綴ったキャラクターは、09年においては注目を浴びるということか?

☆かつて、太宰治は青春のハシカと呼ばれ、ハマル青少年が多かった。今の時代は、もしかしたら、生活そのものが太宰的という若者が、実は多いのではないだろうか?みんなが正しいと思っていた社会を、どこか変だなとか、荒唐無稽な誤解をして理解している若者。不登校が多かったり、大検(今の呼び名は長いので従来の呼び方で)を受ける数が増えたりとはそういうことか?ニートやフリーターに対する見方も変わるということか?

☆いずれにしても、偏差値や大学合格実績を重視する社会は、グリーンスパン的ということだろうが、「人間失格」の出だしを、読みなおしたら、今の時代だからこそカジュアルな気分で、真剣に受け入れられるとふと感じた。

☆いくらなんでも、中学受験では出題されないか?「走れメロス」は別だけれど・・・。もっとも、やっぱり最後の「オチ」は省かれるのだろうか・・・。

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