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09年首都圏中学入試[23] センター試験の評論文

☆センター試験が終わった。54万人が受験したというのだから、それだけの人数が、国語の評論文を読んだということ。これはすごいことだ。同時間帯に、これだけの受験生が、社会評論について一瞬考える。

☆そのシーンを思い浮かべると、ゾーッとするのか、感動するのか人ぞれぞれだろう。しかし、今回の栗原彬さんの社会評論文というかエッセイ「かんけりの政治学」は、それなりに有効ではある。

☆このエッセイは、『政治のフォークロア――多声体的叙法』(新曜社, 1988年) に収められているようだ。ポストモダン的な思想がベースなのかもしれないが、いずれにしても88年というベルリンの壁が崩壊する寸前の時代雰囲気。閉塞状況とそれが崩れる刹那あたりの状況が反映されている。

☆今年の受験生は、その状況の中でちょうど生まれているが、この閉塞状況が崩れたからといって、光に満ちた時代を生きているわけではない。「動物化するポストモダン」だとか「不可能性の時代」だとか「虚構の時代」だとか「経済空白の時代」だとかさんざんな呼ばれ方の時代に生きている。

☆試験の最中にこんなことを再確認しなくてもよいではないかとふと思うが、よく読んでみると、その閉塞状況を打破するのは受験生自身以外にいないよというメッセージも読み取ることができる。

☆もはや「隠れんぼう」という遊びで郷愁にひたることもできないし、個人主義、疑心暗鬼、市場主義の象徴のような「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」「屋内ゲーム」という管理社会のコスモロジーも飽きてきた。じゃああのごくせんのシンボル「かんけり」がよいかというと、管理と自由領域の二元論もスケープゴートを作って終わる。あるときはヒーローだが、あるときは生贄になる。最近の若者が出世欲がないと言われるのもそういうことか・・・。

☆ともあれ、センター試験の設問では、ここまでしか確認できないが、受験生の中に、「かんけり」の次のゲームは何か、ゆさぶられた若者もいるだろう。そういう意味では大事なチャンスだったのではないか。

☆もっとも、作問者はそんなことを考えて出題文章を選択しているわけではないだろうが。ところで、この文章は、小学校6年生にインタビューして書かれているという構成をとっている。ボキャブラリーの難しさはあるが、中学受験生でも80%は解ける問題。おそらく、塾では新6年生に読解させるところもあるだろう。受験という現実的な目標の中で、新たな社会を欲求する知が育まれるという両義性が存在する。受験も悪くないかぁ。

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