≪私学の系譜≫はT-mindの世界
☆拙著「名門中学の作り方」(学研新書)で、≪私学の系譜≫と≪官学の系譜≫を持ちだしているが、たんに私立学校vs公立学校という比較対照をしているわけではない。
☆≪官学の系譜≫は、明治以来変わらずまだ続いているが、≪私学の系譜≫はその片鱗を見せているだけで、まだ全貌は見えていない。両系譜の葛藤がうまれるたびに、そのつど未来の教育を目指して現れ来たるだけなのである。
☆大量生産・大量消費・大量移動・格差算出・資源奪取というモダニズムとポストモダニズムの産業社会に適合する人間生産という一つのエポックを切り取った歴史に生まれた≪官学の系譜≫は、教育の一部にすぎない。
☆世の中で、教育論がかまびすしいが、これは目に見える明治以来の教育システムに過ぎないのは、ちょっと考えれば了解できる。
☆公立の中学高校に通う生徒に対し、私立中高一貫校に通う生徒は10%いない。だから、ほとんど≪私学の系譜≫について、真剣に探求されることはない。
☆フィンランドの教育は確かにすばらしいかもしれない。しかし、国民は500万人しかいないのだ。おそらくフィンランドの中高生の数は、日本の私立中高一貫校に通う数と同じくらいだろう。もし両者がOECD/PISAを競ったとしたら、後者が上回ってしまう。しかも社会的貢献に対する精神性も優劣つけられないだろう。
☆幸せの青い鳥なのだ。日本の教育の明日のヒントは、すでに≪私学の系譜≫のまだ全貌が見えぬ出来未来の教育にあるのである。
☆しかもこの領域は、自然と社会と精神を横断知でカップリングしているT-mindの世界である。東西の文化のルツボが生みだした庭園発想としての自然がある。それは里山にも通じるし、武道にも通じる、まさにルツボなのだが、これは日本の固有性なのだ。
☆だが、それは国粋主義的ノリではない。東西の智慧を風土論的に取り入れることができたのは、自力の話ではない。したがって、このリソースを世界のために保守するモデルを作ることがポイントなのである。もっとも、このリソースは汲めども尽きぬ泉なのだが・・・。
☆対話発想も、議論とは少し違う。茶室での創造的対話がT-mindのイメージなのだ。だからといって、茶室を創ろうということではない。茶室のシステムを日常化しようということだ。おそらくこの浸透には、ITという技術ベースの社会が可能にするだろう。
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