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09年首都圏中学入試[96] 今年のサンデーショックの時代精神⑤

☆昨年のクリスマス・イブの午前中、東京女子学園の實吉校長、鴎友学園女子の清水校長とお会いして、「私学人プロジェクト」を立ちあげようということになった。もともと2006年の教育基本法改正の動き以前から、私学の先生方と改正後のリスクをどう回避するのか、どう積極的にとらえ返していくかという議論をたびたび行ってきたということもある。

☆聖学院の大木理事長や小倉学院長もプロテスタントの中ではピューリタニズムという立場から教育基本法の改正に批判的な議論をアピールしていて、いかに戦後教育形成期の純粋な精神的な革命の燈を教育実践の中で継続していくかという話に刺激を受けていた。

☆このブログを中心にすでに何度もしつこく述べているけれども、戦後教育基本法は、象徴天皇や憲法9条と同じくらい重要なポジショニングなのである。政治的にはいろいろあるだろうけれど、これら3つのポイントは、吉田茂と南原繁の「二人のシゲル」人脈が奔走してできあがったわけである。

☆この人脈に白洲次郎がいるし、新渡戸稲造・内村鑑三の門下生チームというプロテスタント人脈がいる。それから忘れてはならないのは、カトリック人脈である。いずれにしても私学人人脈が水面下で相当ふんばったのである。

☆この私学人人脈のモノサシをあてながら、最近のメディアを見ていくと、時代は私学人のような精神を求めていることがよくわかる。前回ご紹介した村上春樹さんのエルサレム賞スピーチもそうだ。村上さん自身は中高は公立だけれども、おそらく私立甲陽学院の教師の父親の影響を受けているはずだ。だからということもないだろうが、私学人的な精神の持ち主だと思う。

☆南原繁のお孫さんでいる麻布の氷上校長からも、戦後教育基本法の改正後、私学の選ぶべき道は、学校という場でいかに私学の系譜的な発想や思想を子どもたちに伝えていくかであるという話をお聞きした。そして麻布は、その実践として学際知の育成をさらにすすめ、土曜日に新教養育成講座を開設している。

☆南原繁自身は、内村鑑三の弟子であり、プロテスタントの中でも無教会派で、大木先生の言うところでは、ピューリタニズムの発想に近いという。新渡戸稲造が属するクエーカーもそうだろう。プロテスタンティズムとピューリタニズムが違うなどという話は、おそらく日本では認識されていないので、ここでは説明を省くが、ここの理解がないとグローバリゼーションの流れが本当は理解できないかもしれない。

☆南原繁はこのピューリタニズム的プロテスタントの哲学的理解をカントによって論じた。それが「国家と宗教」という傑作である。今書店で手に入れることは無理だし、南原繁著作集第一巻を手に入れなければ「二人のシゲル」の微妙な関係がつかめない。

☆その本は、麻布学園に隣接している大名庭園・有栖川宮記念公園の中にある中央図書館で閲覧できる。著作集第一巻には、「国家と宗教」の初版本には収められていない「カトリシズムとプロテスタンティズム」という論文も収められているが、これが重要な論考なのだ。

☆南原繁は、その中で田中耕太郎と対決しているのである。田中耕太郎は、内村鑑三門下生でありながら、カトリック信者である。吉田茂や小泉信三とともに、皇太子と美智子様のテニスコートの出会いの瞬間に立ち会っている。もしかしたら、この3人は仕掛け人だったのかもしれない・・・。

☆それはともかく、教育基本法などの成立に南原繁と田中耕太郎は協力し合っている。しかし、立場を異にしている。人間関係は良好だが、思想が違うのだ。それでもちろんよいのだが、戦後の政治や経済が、意外にも哲学や宗教的な素養が影響していることに驚かされるのだ。つまり、今とは全く違う。もっとも影響されていないというポストモダン的な思想には影響されているのが今かもしれないが・・・。

☆とにもかくにも、南原繁は田中耕太郎を介して実は吉田茂との思想的違いを明確にしているというのがポイントなのである。

☆講和条約に関して南原繁は理想的な全面講和論に立ったし、吉田茂は単独講和論を結んだのだが、この背景を読み解くテキストが「カトリシズムとプロテスタンティズム」である。南原繁はアリストテレスよりプラトン、トマス・アキナスよりカントという図式なのである。

☆つまり、南原繁は、プラトン―カント―プロテスタントであり、田中耕太郎はアリストテレス―トマス・アキナス―カトリックなのである。当時の思想界では、プラトンは理想主義者、アリストテレスは現実主義者という理解だったからしかたがないけれど、この理解が南原繁VS田中耕太郎という思想的対決を生み、南原繁VS吉田茂という政治的対決を生み出したということになろうか。

☆しかしながら、幸か不幸か、カトリックの思想を、トマス・アキナスに代表させてしまったのが、対立ではなく、対話的な統合を生んだというのが、戦後教育基本法の発想の根っこにはある。

☆というのも当時のトマス・アキナスの思想界の理解は、中世暗黒説の立場にたち、その中世的世界の正当化理論の集大成をトマス・アキナスの神学にみていた。しかし、今では少し考えれば、それは逆なのだ。トマス・アキナスの属する修道会はドミニコ会で、ローマの教会の腐敗やイスラム世界から迫る異端との闘いを聖書と説教で挑んだのである。ある意味、宗教改革の先駆けなのである。

☆このトマス・アキナスの自然法論は、実はカトリック国のフランスの啓蒙思想家に影響を与えている。しかもイギリスのプロテスタントは聖公会で、カトリック的な匂いを残している。それが嫌だというのでピューリタニズムが生まれるのだけれど、それはアメリカで花開く。つまり、ルソーやロックにトマス・アキナスの思想は流れているはず。

☆でもカントはルターから流れるドイツ・プロテスタントの影響の方が大きいだろう。神と人間の間に自然法を認めないし、そもそもそういう領域は不可知としてかっこに入れてしまうのがカントだ。理性がうまく機能すれば、すてきな国家ができるのだが、その理性が狂気になる場合もある。だからプラントンに回帰することが必要なのだろう。

☆ピューリタニズムが、聖公会と袂をわかっても、根っこにコモンロー文化がある。自然法論的文化があり、そこがイギリスやフランスと協力しやすい共通項なのかもしれない。経験主義やプラグマティズム、ポストモダニズムの共鳴ということか?

☆南原繁は、カントが両刃の剣だというのはわかっていた。ナチズムの誕生の要因の1つにアンチ・カントの発想があるからである。このリスクを回避するには、そうならない健全な精神的革命が重要なのだとなるのだろう。そしてこれが近代的な自然法の発想なのだと。

☆中世トマス・アキナス的な自然法論の変容がプラグマティズムやポストモダニズムだとは、南原繁は当時まだ断言できなかった。だから、カント的な近代的自然法論と対立図式を作ったのだろうが、残念ながら、今振り返れば、親和性の方が大きいのである。どちらも村上春樹流儀で言えば、壁にぶつかっていった卵だからである。

☆一方、吉田茂はドイツ的な発想のものには当然ながら慎重で、英国びいきだったのだろう。だから白洲次郎とも共鳴し合ったのだろうけれど、ともかく英米系のプロテスタントなら受け入れたのだろうけれど、南原繁人脈は、やはり日本独自のプロテスタントのチームだった。江原素六の流れを汲む内村鑑三なのだが、思想的には相当潔癖なところがあったのではないだろうか。無教会派である内村鑑三が批判される場面で、江原素六が寛容性という立場から内村鑑三を擁護しているシーンがあるのだが、それは思想の一致からではかならずしもない。

☆いずれにしても、吉田茂はカトリックの洗礼を受け入れたようだ。愛すべき妻と娘がカトリック信者ということもあっただろうが、カトリック人脈の方に親和性をもったのも確かだったようだ。岩下壮一―田中耕太郎―枢機卿浜尾文郎と吉田茂の関係が見え隠れするのもそういうことだろう。戦禍で焼けたカトリックの本山カテドラルの修復のための資金を集める会の会長を吉田茂が担ったというのも関係があるだろう。

☆解きがたい戦後の二人のシゲルの関係図だが、中世教会の改革者トマス・アキナスと近代の知性へとパラダイムを転換したカントとは、葛藤しつつも親和性をつくっていったというのが戦後の政治経済と思想だったような気がする。そのどちらかというよりも、その複雑で多様な理念をゆるやかに結び付けられたのは私学人の偉業ではないだろうか。江原素六の精神を継承している實吉校長が語る「私立学校はゆるやかな理念共同体である」というのはそういうことを示唆しているのではないだろうか。

☆ともあれ、「私学人プロジェクト」が私立学校の先生方と出版社、教育カンパニーのスタッフ、そして私と同じような民間研究所のメンバーが「ゆるやかに協働」し始めた。これも時代精神の1つになればと心から祈っている。

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