伸びる学校[005] 八雲学園の道
☆八雲学園はいわゆるミッションスクールではない。しかし、理事長・校長である近藤先生を中心に教育出動する先生方の姿にはミッションスクールの質感がある。かつて内村鑑三門下で、東大総長だった矢内原忠雄は、教育において、授業方法、カリキュラムなども重要であるが、もっとも大事なことは哲学であると説いた。
☆その意味で八雲学園はミッションスクールである。その哲学は何であるかはいろいろ議論もあるだろうが、わが友岡部憲治氏は、自らの長年のアメリカ生活を通して、プラグマティズムだと称したことがある。近藤校長とフランスの日本学研究所所長のクライン氏といっしょにセミナーで講演した時に感じたようだ。
☆そんな思いで八雲学園に再び訪れたが、その通学路のひみつに気づいた。都立大学の駅から、遊歩道を歩いていったが、そこは桜並木の道だった。はやくも芽吹き始めている。
☆そして八雲神社に接している左の道を歩いて行くと、八雲学園の正門 なのだが、八雲神社の参道の奥行きが見える位置がある。6年間通う在校生の多くが、このシーンを毎日見るわけだ。見るというか目に入ってくるというか・・・。もちろん、意識はそんなにしていないと思うが、右手に小さな自然というか「聖なる空間」をなんとなく感じながら通学している。これは広尾駅から有栖川記念公園を右手方向に感じながら通学する麻布学園に似ている。
☆正門につくと、そこから実は道が3方向に分かれていることに気づく。つまり3つのベクトルが八雲学園に集中していることがわかる。3点で安定した位置を作れるわけだが、教育空間として生徒が無意識のうちに感じるものは、この安定感だったり、ときには聖なるものだったりするのではないだろうか。
☆ランドスケープが心に影響することなどあるのだろうかと思われるかもしれないが、小さな茂みに心誘われたことはないだろうか。何か感じるスポットなどということもよく話題になると思う。戦後、南原繁を中心に教育改革が行われたが、そのとき精神的なもの=聖なるものをリスペクトできる教育をという哲学が一瞬広がった。
☆その後は公立学校では、そのようなことは暗黙のうちにタブーになり、今では大きな物語は失われたとまで言われている。この聖なる物語は、≪私学の系譜≫にのみ受け継がれていったといっても過言ではないかもしれない。
☆しかし、環境があれば、公立学校だって、生徒一人ひとりに影響を与えることはできる。京都大学の「こころの未来センター」では、おそらくイメージや空間が心にあたえる研究をしているのだろう。かつて河合隼雄が、箱庭や物語に心の形をみたように。
☆村上春樹氏が、エルサレムの講演で、壁に立ち向かう卵であり続ける覚悟を語ったとき、だれもがその勇気ある高尚な生きざまに感動を覚えたのではないか。その感動こそ「聖なるもの」である。講演とは、1つの物語である。その物語が、多くのひとのこころに影響を与えるのである。
☆八雲学園の学園生活は、まるごと物語である。その背景に通学の道という地理的背景があるのである。私が学校選択の視点の1つに教育空間の重要性を挙げているのはそういうわけだ。
☆八雲神社の延長上に小さな真言宗の寺がある。八雲学園は寺社から守られている構図なのである。その逆に八雲小学校があるが、通学路でその二つの寺社に出会うことはない。あくまでも背後の位置なのだ。
☆それにしても、八雲学園の外部環境の道の質感は、本当に在校生の内面に良き質感を生み出している。昨日の全国高等学校空手道選抜大会の団体形で、八雲学園の生徒チームが優勝した。男子では世田谷学園(すべての種目で制覇している)が優勝。文武両立の道は、八雲学園の教育実践であるリベラルアーツの目標でもある。
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