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09年首都圏中学入試[108] 聖学院グループ 各新聞で話題

今日の読売の「教育ルネサンス」で、聖学院大学の入学前教育の目的や効果があることなどについて掲載されている。発案者である同大広報センターの山下研一所長(54)によると、始めたのは8年前、面接や論文などで選抜するAO(アドミッション・オフィス)入試の導入をしたときにさかのぼるようだ。

☆AO導入によって、他の大学でも起こる現象として、学習意欲のない学生や学力の不安な学生に対応する事態が生じたからだ。学部の講義で、教員が大学レベルの探究に導く前に躓いてしまうこのような状況を解消することが1つの目的。そしてもう1つは学生が目的意識をもち、モチベーションをあげなければ、たとえ学力を補完したところで、学問の門をくぐれないので、それも解消したいということだろう。

☆この入学前準備教育は、教科的な基礎知識の再構築と「探究→議論→発表→振返」というチーム学習の両輪で走っている。特にチーム活動は、同大学の在校生がフォロワーシップを発揮しているから、入学前にメンタル部分のケアもでき、モチベーションがあがるのは明らかである。

☆基礎知識の学びは伝統的な学びで、今日も高校の授業の主流である。一方チーム学習は、プロジェクト・ベース学習で89年のベルリンの壁が崩壊して以降、グローバルな学びの流れである。情報過多で体験が貧困な今の学生は、ただ無味乾燥な知識を覚えるだけではモチベーションが上がらない。自分の興味と関心のない知識は過剰で飽和状態の情報の一つにすぎない。だから、どうしても体験という文脈が必要になる。

☆ところが体験という文脈だけでは、今度はイメージや論理的結びつきが狭くなる可能性がある。だから多くの人と議論をして多角的な切り口で情報を結びつけていくことが必要なのだ。そうなってくると、思いもよらぬ結びつきに好奇心がゆさぶられるわけだ。この段階になると、知識を覚えることと「探究→議論→発表→振返」というチーム学習のサイクルが自問自答の内面化した自立した学びに転換する。

☆この自立した言語及び思考活動の内面化こそ、聖学院グループのキリスト教的民主主義の根っこ。幼稚園から高校のどこかで聖学院で教育を受けていれば、実はその過程で身についている学びのスタイルである。ところが大学は必ずしも女子聖学院や聖学院からだけ進学してくる学生ばかりではない。

☆だから幼稚園から大学まで設置されている総合学園は、他の高校から入学者を受け入れる場合、入学前準備教育は必須条件なのである。聖学院のような真摯な教育を、他の総合学園もやらねばならないということなのだ。やっていないとするならば、それはそれで問題である。

☆さて、2月13日「東洋経済日報」では、「東アジアの平和と民主主義」についてというテーマでシンポジウムが行われた様子が掲載されていた。ふと見るとこの国際会議の主催もまた聖学院大学である。たしかにヨーロッパ合衆国としてのEUだけではなく、いかにアジア合衆国としてのAUを形作っていくかは重要な視点である。

☆今後もし中高生がこのようなシンポジウムにジョイントするようになると、女子聖学院や聖学院の英語教育やディベート・プログラムは極めてプラグマティックな要素が加わることだろう。

☆さらに、2月19日の日経の夕刊だっただろうか、ギタリストの村治佳織さんのインタビュー記事が載っていた。中高時代は学びのふるさとではあるが、勉強とギターの練習の両立は難しかった。転校することも考えたほど悩んでいるとき、現聖学院院長で、当時校長の小倉先生から「神様は乗り越えられない試練は与えない。苦しいかもしれないけれど、頑張れば必ず力になる」と声をかけられたそうだ。

☆以来、様々な試練に出会うたびに、その言葉を想い起こしたようである。勉強とギターの両立というのは、もう気づかれただろうが、聖学院大学の入試準備前教育の目標と同質の話なのである。

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