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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん③ なぜ中高一貫か

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん②のつづき

☆茂木健一郎さんは、中高時代に大切なものが築き上げられ、大人になってそれが喪失されることがいかに重要なのかについて、アンの成長を分析して語っている。

確かにアンの想像力や生命力は、それが強烈であるがゆえに彼女を「ぎこちなく」「みっともない」存在として際立たせてもいました。でもそれこそが、子どもの本来の姿です。たとえ周囲を巻き込んでの騒動に発展したとしても、そして大人にしょっちゅう怒られたとしても、子どもの独特の好奇心や行動力、冒険心こそが彼らを特別な生き物として輝かせるのです。

ところが、成長するということは、その子ども時代や青春期の「みっともなさ」や「ぎこちなさ」を、ある時期から手放していくことなのです。成長して大人になるにつれ、人は次第に「洗練」されていきます。しかし以前にも述べましたが、「洗練」されるということは、逆に生命力が衰えるということと同義語なのです。だから人は皆、成長と共に子ども時代に持っていた、輝ける「何か」を失っていくのです。

☆ちょっとさびしいけれど、生きるというのはそういうことなのだ。それなのに、この「ぎこちなく」「みっともない」存在を、青春期に放てない状況があったとしたらどうなるだろうか。

☆喪失するものがなくなる・・・。大人になってから「ぎこちなく」「みっともない」存在を露出するわけにもいかない・・・。ご承知の通り、この青春期の喪失と大人になってからの獲得の試行錯誤が内なる基準をつくるわけで、もしこの試行錯誤がないとどうなるか。

☆いつまでたっても基準は外から押し付けられたもので、自分の内側に基準が結晶しないという困った事態になる。だから中高時代はできる限り、強烈な想像力を使う体験や冒険をした方が良い。もちろん法的限界はあるが、そのぎりぎりの体験が規律を吸収することにもなる。

☆中高一貫では高校受験がないわけだから、それだけ大切なもの、大人になって喪失してしまうが、良き思い出となるものを育める豊かな時間があるのである。高校受験がないというと利便性だけが強調されがちだが、喪失によって生まれる大切なものへの思いという判断基準を形成するために重要なシステムだったのである。

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