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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑤ ≪私学の系譜≫とは何か?

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん④ 公立と私立の発想のつづき。

☆茂木健一郎さんは、少女時代のピュアなアンのことについて書きながら、アンを超えて「ピュア」とは何かについて一般化している。

☆この「ピュア」こそ≪私学の系譜≫に当たる。もちろん茂木さん自身はそういう意味を付与してはいないけれども・・・。

 キリストを最後に殺す決断をするのは、当時の為政者ではなく、民衆の側なのです。とても重大なことが、この聖書の中では書かれている。やはり、あまりにもピュアな情熱を持っている人は、社会の側が、扱いに非常に困るところがあるのです。

 もちろんこれは極端な例です。しかし、世の中にはどこか、そういうピュアで強すぎる情熱に対する、本能的な拒絶意識がある。秩序や価値概念を破壊しかねないという危険性を事前に察知し、社会が積極的に排除しようというベクトルが動く。

 そこに「クリエーター」として生きる人々の大変さも潜んでいるのだと思います。自分の内にある、ピュアな情熱や想像力を捨て去ってしまっては、感動的な作品は生まれない。けれどもその情熱に従うあまり、現実に対して盲目的になりすぎても、社会に受け入れられない。非常にバランスが難しいところです。

☆茂木さん自身は、おそらくバランスをとりながら生きているつもりなのかもしれないが、実際にはその執筆量の多さやメディアでの登場回数の大量なのを外から見ていると、常人ではないと思えるほど・・・。それはともかく、バランスがたしかに大事。

☆人というのは、リーズナブルな言動の極とピュアで情熱的な言動の極の間を揺れ動くわけだけれど、大人とか賢いとか言われる人は、リーズナブル極に近いわけだ。ピュアで情熱的な言動をとりつづける人はクリエーター。内村鑑三などはこっち側に位置する。江原素六もそうだし、高橋是清もそう。福沢諭吉も、南原繁も間違いなくそうなのである。

☆つまり私学人というのは常人ではなかった。もちろん狂人ではないが、学校や教育の創設者とはまさしくクリエーターで、バランスをとりながらもクリエーター極に針が振れていたはずなのである。

☆国家とか社会とかは当然ながらリーズナブルなわけで、≪官学の系譜≫というのはそのような人たちがコントロールしてきた系譜。それに対し、言うまでもなく、≪私学の系譜≫とは、クリエーターが作ってきた系譜なのである。

☆茂木健一郎さんが、≪官学の系譜≫の良心であると、私が言うのは、このバランスが比較的よくとれているように見えるからだが、ぎりぎりで崩れそうなほど忙しいそうだと思うのはおせっかいに過ぎるかもしれない・・・。

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