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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん②

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さんのつづき。

☆茂木健一郎さんは、本書のいろいろな箇所で、小学校5年生のころ(今もそうかもしれません)の自分と赤毛のアンのキャラクターを重ね合わせていますが、その重ね合わせの表現が、一般化の媒介をはたしているところがあります。

 現実社会の中に想像力の豊かな人を置くと、時にみっともなく見えることがあります。現実が分かっていて、それを実際的にやっていける人は、言い換えれば仮想の世界を必要としない人と言えるのかもしれません。たとえば、モデルやタレントなど現実に即した外見が大切になってくる世界に身を置いている人たちは、経済人など実際的な実務が重視されるような仕事についている人たちには、そのような傾向が強いと感じます。

 仮想を必要としないというのは、たとえば、現実社会には存在しない一角獣や透明人間といったものを思い浮かべたり、小説を読んで現実を忘れてしまうくらいその世界に没入したり、といったことをする必要がないということでしょう。要するに、時間的、空間的な限定を超えて、無限の仮想空間で自由に遊ぶ必要がない。また、そういう仮想世界がなくても息苦しさを感じずに生きていけるということです。

 実は、世の中の九割くらいはそういう人で占められているのかもしれない。だから、本が売れないといこともあるかもしれません。『赤毛のアン』の物語を本当に必要とする人が、人口の百パーセントになるということは絶対にありえないと思います。むしろ、アンみたいな人は、ほとんどいない。だからこそ、アンは、本当は非常に孤立しているんです。孤立しているからこそ、「kindred sprit」(キンドレッド・スピリット)、つまり「相呼ぶ(あいよぶ)魂」を探し求めている。

 僕がなぜ、小学校五年生の時にこの物語に惹きつけられたのかということを考えると、僕自身もアンのように想像することがいろいろあって、みっともない人間だったからかもしれません。(同書p89~p91)

☆ちょっと長いが、とても重要な一般化がここからは読み取れるので、引用した。経済人など実際的な機能というのは官僚機能で、無限の仮想空間で自由に遊べるのは個人とも読めるし、あるいは通常人とオタクのキャラクターとも読み取れ、茂木健一郎さんが、後者に惹かれる志向性を持っているということがわかる。

☆また後者のような性格は、「kindred sprit」をもっている。探究の道を開こうとする精神の持ち主であるということだろう。しかもそれは孤立への道でもある。その道の果てに魂に出会える。

☆これなんかは自己の道ははてしなく孤独だけれどその果てに自己実現できる何かに到達するというヘルマン・ヘッセの世界観にも重なる。そして作品の一つ「荒野の狼」は、60年代のアメリカの若者たちヒッピーにものすごい影響を与える。カナダのロックバンド「ステッペンウルフ」の名前はこの小説に由来するぐらいだ。

☆岡倉天心の自由な芸術の道を探究した生涯にも重なる。岡倉天心といえば、九鬼周蔵だが、天衣無縫の才能とその孤高さは、ハイデッガーにもインスピレーションを与えたという。もっとも日本のアカデミズムでは、あまりに自由すぎて厄介者だったらしいが、ちゃんと九鬼周蔵を公私ともにサポートした親友天野貞祐がいる。根本的には教育者だった天野にとって、九鬼周蔵は赤毛のアンだったのかもしれない。

☆頑固者で敵も多いが、江原素六に支えられる場面もあった内村鑑三も赤毛のアンのような側面を持っていたのだろう。

☆ところで、アンの子ども時代のような生涯を全うする人間は少ないかもしれないが、ただ憧れるだけではなく、内面化して静かな情熱を燃やし続ける大人になることは可能かもしれない。茂木健一郎さんがいう10%よりもっと多くの人がそういう生き方をしているとは思うが・・・。そしてそういう生きざまを貫く人のことを私学人と呼んでいる。

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