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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん

Photo ☆茂木健一郎さんによる「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」(講談社文庫2008年12月)が、昨年末に出版されていた。

☆おもしろそうだなと気にしつつも、NHKのプロフェッショナルなどで話している茂木健一郎さんを見ているし、「欲望する脳」(集英社新書2007年)をめずらしく真剣に読んでいたこともあって、手に取ることはなかった。

☆しかし、「希望学」という本を読んで、希望と幸福の違いみたいなものを問いかけられたような気がして、そういえば茂木さんが「幸福」について書いていたなと思いだし、手に取ってみた。

☆すると、「赤毛のアン」は茂木健一郎さん自身であることがわかった。もちろん茂木さんが実は・・・というわけではない。

☆アンのように子ども時代は、想像力に富み、奇想天外な行動やまわりをかき回すけれど、幸せな雰囲気をつくるクリエーターのような存在だったが、大人になるにつれ洗練されて公共的な人生を送るという意味で。それから大事なことは、大人になって洗練された生き方をするのだけれど、心の中では子どもの気持ちを忘れないということだ。

☆しかし、世にいうクリエーターは、大人になっても子どものままで、その状態で成功する人はそれほど多くもないということも語っている。だから茂木健一郎さんはNHKの番組プロフェッショナルで、そういうクリエーターと出会えて幸せなのだと思う。

☆そういう意味では茂木健一郎さんは≪官学の系譜≫の良心である。大人になって子ども時代を憧憬し、大人のクリエーターの異次元にあこがれる感覚と目線を持っているからだ。

☆モンゴメリー自身は半分はアンであり、もう一つのキャラクターのエミリーでもある。茂木健一郎さんはそこを見逃さない。子どものアンがそのまま大人になるエミリー。しかしそれがゆえに社会の壁も自分自身が設定するハードルも高い。ゆえに物語の雰囲気はアンとは違うストイックな孤独の雰囲気がただよっていると。

☆茂木健一郎さんが、≪官学の系譜≫側から覗いているこっちの世界が、≪私学の系譜≫であることは言うまでもない。

☆1952年に赤毛のアンは、村岡花子さんの翻訳によって、公刊された。茂木健一郎さんはこのことに注目している。戦後の日本の子どもたちや社会にどれどだけ夢と勇気を与えたかと。孤児に生まれたアンが、無条件に愛される環境と出会い、のびのびと成長していきながら、良識ある大人に育っていく。その姿は戦後日本にぴったりマッチングしたというのだ。

☆しかし、茂木健一郎さんのおもしろいところは、さらに村岡花子さんが東洋英和出身であるとかクリスチャンであるとかということについて言及し、戦後のキリスト教文化の影響について語っていることだ。同時に表面は輸入されたが、その根本精神は受け入れられなかったということも語っている。

☆だから赤毛のアンは受け入れられたが、エミリーの方はそれほどでもなかった。戦後教育基本法が、同じようにクリスチャン人脈(私学人が多くかかわった)によって作られてのと同じ運命をたどっているわけだ。

☆この話は本田由紀さんの「家庭教育の隘路」(勁草書房(2008)にも通じる。子ども時代を「のびのび型」で教育するか、「きっちり型」で教育するかという問題である。

☆子ども時代のアンは「のびのび型」で、大人時代のアンは「きっちり型」。エミリーは「のびのび型」と「きっちり型」が弁証法的に統合されている「わくわく型」。もっとも本田さんは「わくわく型」は語っていない。

☆「のびのび型」から「きっちり型」にシフトしていく子どもは、≪官学の系譜≫ではエリートなのである。「きっちり型」でずっと成長していくと勤勉でまじめな大人のである。「のびのび型」でずっと育つと、中には天才アーティストもいるが、フリーターとかニートとか・・・。

☆日本で、クリエイティブ・クラスが生まれにくいのは「きっちり型」シフトが中高生時代にあるからなのかもしれない。

☆「のびのび型」が小学校高学年以上になっても続いていると、それは様々な壁とぶつかり、もちろん外からだけではなく、内側からも壁はできるのだが、ぎこちない存在になる。実はこのぎこちなさが多くの人が忘れている大切なものに気づいている証拠なのだが、そこは無視されるし、いじめられたりする。だからはやめに「きっちり型」にシフトしようとする。

☆公立の学校で、フロイトの心的構造を持ち出して、無意識を規律で抑圧しようという道徳教育やカウンセラーがおこなわれがちなのとどことなく似ている。

☆私学人はこの「きっちり型」シフトに異を唱え、だからといって「のびのび型」を全肯定するわけでもなく、「わくわく型」にジャンプするのを見守ってきた。戦後モンゴメリーの片面のキャラクターが注目されたが、今日もう片方の側面も重要だということに気づくと幸せになれるよというのが茂木健一郎さんのメッセージだと思う。

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