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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん④ 公立と私立の発想

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん③ なぜ中高一貫かのつづき。

☆茂木健一郎さんの赤毛のアンへの憧憬と社会の中ではアンの子ども時代のようには生きていけないという挫折感は、誰もが認めることで、そんな中でクリエーターだけは大人になっても、社会に抗いながらも想像力を発揮して生きていける。これは大人になることの普遍的なルールだ見たいなことを茂木さんも言っている。

☆たしかに多くの人はそう思っているかもしれないが、それでよいのだろうか。この「クリエーター」という人物なるものを「リーダー」と置き換えるとどうだろう。

☆<想像力が豊かでも、もし頼りがいがなければ「ぎこちない」生き方は誰も認めないけれど、現実化するものすごいパワーをもっていて、エネルギーに満ちている人は、多少「ぎこちなく」見えたとしても、それがかえって魅力的で、リーダーとして存在感を示すことができる。>

☆という具合になるだろうか。やはりクリエーター同様、リーダーも大人になると数が限られていくと。だから、このような少数精鋭のリーダーを作らなくてはという流れになる。

☆しかし、私立学校の場合、生徒一人ひとりがクリエーターにもリーダーにもなれるという信念がある。実はリチャード・フロリダによると、クリエイティブ・クラスという経済や文化をけん引する21世紀のリーダー論も、私立学校同様の考え方をしているのだ。すべての人のタレントを信じているのだ。

☆このような差異がどうも公立と私立の発想の違いのような気がしてならない。そういう意味ではやはり茂木健一郎さんは≪官学の系譜≫の良心に属しているのだろう。≪私学の系譜≫にはやはり与しないようだ。

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