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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑧ 青春の広がりと現実の着地

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑦ 評価のモノサシはどこにのつづき。

☆この本を読んでいくと、気づいてしまう・・・。それはトートロジーだということ。言っていることはどのページも同じことなのである。子ども時代は、多少「ぎこちなく」ても、想像力の翼をもっているけれど、やがてその翼を失い、運命を受け入れて生きていくことになる。でもそれでいいのだと。

☆茂木健一郎さんは、脳科学者だったのだ。結局脳の映し出すメタモルファーゼを表現しているだけで、断片情報をすべて脳の統合機能に任せているだけなのかもしれない。

☆脳が活性化するには、それが必要なのだ。多角的な情報が。それがなければ、トートロジーはトートロジーのまま同じことを繰り返す。これは脳が病む刺激の与え方なのだろう。結局すぐれた評価のモノサシとは、脳の統合機能の精度なのだろう。

☆トレーニングとは、だから脳を活性化し、この統合機能の精度を上げることだったのだ。知識を覚えることが目的ではなく、それは脳のサバイバルトレーニングだったのである。そして脳の時代は、記憶脳の機能だけでは満足できなくなったのであろう。できるだけ脳全体をトレーニングしたいと。それは脳の欲求にほかならない。

☆脳科学も射程に入れている、ハワード・ガードナー教授の多重知能(MI)も、結局8つの刺激を脳にインプットすることにより、脳の統合力や想像力、創造力をアップしようということなのである。しかも、思っているだけではなく、それを発表する実現力もトレーニングしなくてはならない。しかし、これは子ども時代の話である。大人になったら、エントロピーの増大を遅速させねばならない。だから子ども時代の夢は仮想現実として内面化するにとどめておかねばならない。

☆もし子ども時代にそのトレーニングをしていないと、大人になっても仮想を現実化しようとする・・・。だから、仮想現実の内面化が着地点なのである。

これは考えようによっては、とてつもなく哀しい結末であり、またある意味では非常に深遠な秘密が隠されてもいます。つまり、「幸福」とは何か。そういうものたちの秘密が、ここには隠されています。人生に対する非常に深い覚悟、それは前に見た、「運命を受け入れる」という覚悟に尽きます。

☆この運命に抗ったとき、天才が生まれるか、狂人が生まれるか・・・。たいていの人は運命を受け入れます。しかし、それはトートロジーで、限りない日常。今度は脳があまりに疲弊します。

☆だからときどき非日常の情報をインプットしないといけません。世にいう天才の発明発見も、世を騒がす狂人の仕業も、結局は脳の欲求。。。

☆とてつもなく哀しい、そしてそれが幸いだとは、やはりパラドクスですね。私学人はこのパラドクスに挑戦するわけです。もちろん狂人性ではなく、すべての子どもの天才性が生まれるように。

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