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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑪ セレンディピティと幸福と学び

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑩ アンとアインシュタインと揺らぎのつづき

☆茂木健一郎さんは、得意の「セレンディピティ」も幸せに結び付け、この概念を「思わぬ幸運に偶然出会う能力」と言い換えています。ふらふら散歩をしながら「揺らぎ」がおこると、幸運に出会えるのだと。

☆偶然と言いながら、その確率を高めるには、仮想と現実の間をふらふらし、揺らぎが起こるチャンスを自ら作ることが大切だということでしょうか。

☆なにせ「セレンディピティ」は鍛えられるのだというのです。鍛えるということになると、それは学べるということです。

「セレンディピティ」を鍛える際に必要となるのは、「行動・気づき・理解・受容」の四つです。つまり、何かに出会うためには、まず「行動」しなくてはならない、行動して何かに出会ったら、その出会いに「気づく」ことが重要です。そして自分が出会ったものを「理解」して、最後にはそれを「受容」しなくてはならない。・・・・・・同じ世界で、同じものを見ていても、ある人は「これは幸運だ!」と気づき、ある人はそのまま気づかず素通りしてしまう。世の中にはそういう例が、多々あります。それは自分の中に、他のものを「受容」する余裕がないからです。

☆このプロセスは学びそのものです。このセレンディピティを持っていれば、どんな退屈な授業でも、幸せを見つけることができますね。ただ、セレンディピティの能力を持っていればなのですが、なかなかそうはいかないでしょう。

☆しかし、明大明治の松田孝志先生の授業は、まさにこのセレンディピティを鍛える授業でもあります。ある生徒が、松田先生の授業を受けてから、他の先生の授業でも考えるようになりましたと語ってくれたことがありますが、これは茂木健一郎さんのセレンディピティの感覚と同じですね。

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