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赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑨ 仮想とひたむきさの強度の相関

赤毛のアンと私学の系譜と茂木健一郎さん⑧ 青春の広がりと現実の着地のつづき

☆「運命を受けいれること」の「ひたむきさ」が結局は幸せなのだと言っていながら、茂木健一郎さんはまた揺れる。

どんなにつまらない日常でも、思い切って意識を変え、すべてを「奇蹟」だと思って眺めてみる。それが幸福に至るための道の、第一歩だと思います。さて、実際に「奇蹟」を起こすためにはどうしたらいいか。それには結局、「ひたむきに生きる」しか方法はないと思います。アンの素晴らしいところは、結局はそこなんでしすよね。

☆「奇蹟」と出会う瞬間を求めて、日々ひたむきに生きることが大切なんだと言いきるわけですが、そのすぐあとに、こう続きます。

しかし、人間ただ何もなしに「ひたむき」に生きられるかというと、それはちょっと難しいものがあります。ひたむきになるためにも、何か核となるものが必要となる。

☆と言うのです。そしてこの核こそ、自分の理想、世界観、美の基準、善悪の判断だと。これらは、「いま自分が立っている現実の社会とはまた別の、ベールの向こう側にある、自分にとっての真実の世界。「仮想」の世界」なのだとも言い換えています。

☆そしてこの「仮想」をしっかりもつことが、「魂」の成長なのだというのです。日常という現実社会をひたむきに生きるには、しっかりした「仮想」の世界を持つべきなのだと。それが「魂」の成長なのだと。

☆しっかりした「仮想」の世界とは何か?人によって違うのですが、偏差値の高い学校・大学に入り、大企業にはいることが「仮想」としての目標であってもよいけれど、その「仮想」は実現したら、「日常」になってしまうから、「仮想」の強度が弱いのだと。

☆これは企業にもあてはまるとまで言います。「アップル」や「グーグル」の「仮想」はすぐに尽くしきれない大きさや深さがある。だから成長し続ける、大勢の人を惹きつけるというのです。

自らが内に秘めている「仮想」がどれだけ強度があるか。どれだけ純度が高いか。それが人生の強度につながり、成長していく伸びしろに繋がる。そして、その「仮想」の世界の強度や純度に比例して、「ひたむき」さの強度も決まってくるのです。

☆茂木健一郎さんのストイックな側面です。ファンタジーや想像の世界も、けっしてゆるゆるというわけではない。そこにも強度がある。その強度は、夢と現実の距離を保てるかということですね。いっしょになると、そこに「仮想」はなくなる。だから、そう簡単に到達できない高い目標を立てねばならないことになる。

☆おそらくそれが脳の欲求の強度なのでしょうね。それにしても、このような茂木さんの論に従えば、東大を頂点とする大学ピラミッドの上位層に合格することを目標としている公立の進学重点校というのは、強度の弱い「仮想」の設定をしていることになるわけですが、公立高校自体がこういう進学重点校を頂点にしてピラミッド構造になっています。

☆ということは、若者が弱い「仮想」を抱いて、日常を「ひたむき」に生きなさいと言われていることになります。、いま自分が立っている現実の社会とはまた別の、ベールの向こう側にある、自分にとっての真実である「仮想」の世界を抱く前に、いくらなんでもそんな日常を変える必要があるような気がします。

☆いやいや、それでもいまここでの見方や意識をかえればそれでよい。自分なりに強度の高い「仮想」を胸に、いまここでをひたむきに生きればそれでよい・・・と。ムム、それはやはりちょっと無理、異議があるなと感じたら、それは私学人的発想です。

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