伸びる学校[048] 聖ドミニコ学園の変化の秘密
☆本日11日、聖ドミニコ学園は創立55周年記念感謝ミサを行った。55年前といえば戦後であり、食べ物のなかった時代。あたかも無から民主主義国家を作り上げるかのような戦争の痕跡地からの出発だった。
☆5人のメール(シスターのこと)からスタートしたが、あれから55年、日本社会はなんて豊かになったのだろう。しかし、戦後の精神文化革命をと2人のシゲル(吉田茂と南原繁)を中心とするクリスチャン人脈が高らかに謳っていたことは、未だ実現していない。
☆いやむしろ後退している可能性がある。武田学園長は、聖ドミニコ学園の生徒に、その実現の松明の光を消さないように、世界の痛みを感じ、少しでも役に立つ生き方をするように祈った。
☆それにしてもすてきなミサだった。ドミニコ会士の田中神父の話も、ドミニコ会らしい話だった。
☆ドミニコ会士は、なかなかおもしろい文化をもっている。13世紀以降のヨーロッパの知のDNAを決定したほどの巨大な知性を生みだし、一方で大陸の新発見、フランス革命などの世界の改革のときに陰に陽に活躍しているのだ。
☆だから頑固ではあるが、新しい方向に動きだすと、そのエネルギーは爆発的。田中神父もやはりそうである。
☆インターネットやマンガ、トレンディドラマの話をしたかと思うと、そこにドミニコ会の大事にしている言葉「関係・かかわり」の種を見出す。ミクロの中に真理を見出すのはドミニコ会の伝統。真理はあらゆるものやことに分有されているのだから。
☆それから、フランスやイタリア、アメリカのカリフォルニア州にいくとわかるけれど、ドミニカンスクールがたくさんある。田中神父は自分の体験からドミニコ会のグローバル性をちらりとPRすることも忘れない。
☆聖ドミニコ学園の所在地は、岩崎家の別荘があったところ。その別荘には、総理大臣の幣原喜重郎もしばらく住んでいた。そんなことは歴史的事実としてあるだけで、学園当局はふだんは何も語らない。
☆しかし、前学園長は松方家のお嬢様である。あの松方コレクションの松方家。このコレクションが返還されるようにフランスに交渉したのは吉田茂だ。
☆吉田茂は天皇皇后の結婚のキューピット役を演じ、さらに目白のカトリックの本山カテドラルの再建のときの建築のリーダーであり、自身カトリック信者。美智子さんの従兄は、聖ドミニコ学園の創設当初から協力している。
☆中学受験が大衆化して、このようなドミニコのDNAとしてのミームを世間は誰も興味を持たなくなった。しかし、この学園にはそういう本物のリベラルアーツと現代の欧米の思想・文化の種となった聖ドミニコが今もいる。
☆だから、55周年なのだが、その歴史は700年以上も前にさかのぼるのである。5年ごとに周年記念を事業を行い、そのたびに校舎や施設を新しくしてきた。しかし、並行して行ってきたことは聖ドミニコの精神の現代性を明確化する作業である。
☆学園の進むべき道を、いつも幼稚園から高校までの校長と学園長が毎週月曜日集まって話し合う。ドミニコならどうしたかというのがベースである。あらゆる局面でドミニコに倣う。だから、気づきも多いし、それは1つひとつ現実化され、学校は変化していく。しかし、それは普遍的なドミニコの精神があればこそなのである。
☆この「話し合う」ということは、ドミニコ会の伝統でもある。よく議論するのがミームだ。ヨーロッパの大学の基礎作りにもドミニコ会は大きな役割を果たしているが、ディスカッションの基礎をなしたのはこの修道会の働きの1つだ。
☆それに聖ドミニコは歌が好きだった。だから聖ドミニコ学園も、合唱を大切にしている。今回の管弦楽とコーラスも、生徒たちによって編成されたが、なかなか美しかった。日本のカトリック教会のミサでもこうはうまくいかない。
☆ドミニコ学園の生徒や教師、そしてメール、神父の一挙手一投足にドミニコ会らしい雰囲気が現れている。未来は捨てたものではないと感じ入った。
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