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伸びる学校[051] 武蔵野女子学院 [1]

☆6月27日(土)、武蔵野女子学院で、学校説明会が開かれた。そのとき、「外から見た武蔵野女子学院」というテーマで、一時間ほど話をした。私では役不足であったかもしれぬが、受験生は最後まで真剣に耳を傾けてくれ、しかもときどきこちらからの質問にも応えてくれて、励ます側が逆に大いに励まされた。

☆1つの学校について1時間じっくり話をするという機会は意外と少ない。多くの学校の事例を矢継ぎ早に話すのが通例だ。それに第一、学校説明会でも校長先生が1時間話すということは最近はない。身の程知らずと言われてもしかたがないことをしてしまった。

☆そんなわけで、1つの学校について、1時間話すことが可能なのかどうか、チェックを入れてもらう意味で、思い出して記録しておくことは無駄ではないだろう。

Photo ☆学校説明会が始まる前に、授業で忙しい音楽の先生に、10分ほどパイプオルガンを演奏していただいた。説明会会場は「雪頂講堂」といって、一学年丸々収容できる礼拝堂。毎朝学年が交代しながら、朝拝を行っている聖なる空間。だからパイプオルガンがある。

☆この天から響いていながら、腹の中に響き渡る荘厳さというオルガンの響きがなんともいえないのだが、ともかく学校説明会の始まりはパイプオルガンの響きが欲しかった。快くひきうけてくださった先生に感謝。

☆さて、初めに話したことは、受験生と保護者が正門あるいは北門からはいり、雪頂講堂に足を踏み入れ、オルガンの響きを耳にするまでの間に、武蔵野女子学院の浄土真宗の精神をすでに体験できているのですよということだった。

☆在校生は、何気ない登下校の道なのだが、6年間大事な精神の光や雰囲気に包まれて過ごしているのである。

☆教育とは五感すべてに響き渡る理念がベースである。この理念なき拝金主義が今回の世界同時不況を招いたと言われているのが今日だ。これからは宗教なんてやめてしまえというようなことを言ってはならないのだ。かつては一部の塾(でも大手だから声が大きい)がそういう見識のないことを平気で言っていた時代があった。つまり拝金主義のバブルが膨らんでいたのだ。しかし、それははじけたのだから、もう遠慮することはない。

☆どうして大事なのかは、僧侶でもない私に説くことはできなかったが、雰囲気だけはこの一時間で伝えようと努力はした。

☆それはともあれ、正門や北口から入り、キャンパスを歩きながら雪頂講堂に到達するまでに、武蔵野女子学院の理念を拓くキーワードが隠れているのだ。

☆その話をする前に、軽く話題にしたのが、浄土真宗という仏教を聴いたことがあるかという質問だった。武蔵野女子学院は4教科の試験が用意されているから、歴史の中で出会うことが多いという文脈。鎌倉新仏教の1つだし、織田信長とは石山本願寺が戦った。信長はみんな知っているよね。それにその石山本願寺の跡地に、秀吉があの大阪城を建てた。浄土真宗は、みんなが好きな歴史上の人物とかかわりがあって、実は身近な存在なのだと。

☆その後できた西本願寺は、世界遺産に登録されているし、なんといっても多摩地区にゆかりの深い新撰組の拠点にもなった。鎌倉時代、信長や秀吉の時代、そして幕末の時代にもしっかり顔を出しているのが浄土真宗なのだと。

☆中学受験生でなければ、さらにこの12世紀の鎌倉新仏教は、偶然なのか、そのときから地球はつながっていたのかわからないが、ヨーロッパに生まれた、アシジの聖フランチェスコ、聖ドミニコ、フリードリヒ神聖ローマ皇帝と同世紀人だった。

☆ルネサンスは彼らの思いと行いにルーツがあるといわれている。その同世紀の空気を鎌倉新仏教、つまり浄土真宗の開祖親鸞も吸っていたのだ。12世紀のヨーロッパの空気と鎌倉時代の空気は、たしかに今も重要な価値観を伝えている。

☆そこまでは、語らなかったが、浄土真宗という世界思想に何気なく触れられるのが武蔵野女子学院のキャンパスの仕掛けなのだ。

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