伸びる学校[052] 武蔵野女子学院 [2] キャンパスに埋め込まれている精神
伸びる学校[051] 武蔵野女子学院 [1] のつづき。
☆武蔵野女子学院のキャンパスに一歩足を踏み入れるや、浄土真宗という世界思想に触れられる。正門からでも北門からでもそれは同じだ。意外と気づかないかもしれないが、大きな書体で聖語が掲げられている。毎月言葉は変わるが、6月は「大いなるものの力にひかれゆくわが足跡のおぼつかなしや」。
☆自分の力ではどうしようもないことも、大きな力にひかれてなんとかやっている自分をふりかえっているシーンであろうか。他力本願という生かされている自分を見つめる聖語なのだろう。
☆それから広いキャンパスであるから、正門からだと一本道を歩いていくことになる。その両サイドには樹木の並木になっている。この時季だと紫陽花が咲いているし、やがてイチョウ並木、そして松に出会う。
☆北門からだと大きな樹木と低木が出迎えてくれる。道は回遊式になる。もうお分かりだと思うが、武蔵野女子学院のキャンパスは大名庭園なのである。19世紀末に欧米人が日本に訪れた時、インパクトを受けたのが、江戸や前田藩の大名庭園である。明治政府はどんどん開発して破壊して、ヨーロッパ型のパークに切り替えていったが、イギリス、ドイツはこの大名庭園に魅せられた。今でいう環状型のエコシティをユートピア都市として建設していった。
☆その名も田園都市である。鹿島建設の創設者もその影響を受けている。皮肉なことに、渋沢栄一の息子がイギリスに外遊したときに、田園都市レッチワースを訪れ、これだと確信した。日本にもこういう都市が必要だと。
☆帰国して作ったのが田園調布である。そしてここから東急王国と西武王国の競争が始まるのであるが、そんなことは説明会ではもちろん話さなかった。しかし、それほど武蔵野女子学院のキャンパスの庭園発想は重要なのであるということを補足しておきたかった。そうそう、この発想は麻布・開成・武蔵にはそのまま継承されているということも、意外にも忘却されている。
☆さて、話を戻そう。道ゆきのあと、雪頂講堂にはいる。そしてオルガンの響きに身体ごと共振する体験をしていただいた。
☆受験生には、受験勉強にとって(考えることにとってという意味で使っていたのだが)、大事なことは「置き換える」ことであると。これができるとほとんどのことが明らかになってくるということを伝えた。置き換えるということは、別の角度から光をあてるということであるし、置き換えることは共通点と相違点が明らかになり、相違点が極めて少ないものを選択するというトレーニングでもある。それに共通項を見つけるということは、具体と抽象を行ったり来たりすることなのだ。そこまで伝えることは今回は無理であったが、なんとなく雰囲気を感じてもらいたかった。
☆そこでまず、キャンパスに入ってきたところから雪頂講堂に至るまでの道ゆきをいくつかのキーワードで置き換えていくことにした。
☆「聖語」は「言葉」に置き換えた。「道」は「自分を見つめるとか振り返る」に置き換えた。イチョウ並木などの樹木は「自然」に置き換えた。そしてオルガンの響きは「共振する友だち」に。「縁」という言葉に置き換えたかったが、今回はやめた。
☆こうすることで、武蔵野女子学院の教育の特徴(理念)が浮かび上がってくる。武蔵野女子学院の3大特徴は
①言葉が通じる学校
②心が通じる学校
③自然(の法)が通じる学校
☆そしてこれは強調しなかったが、「通じる」とはここでは「縁」だし、「コミュニケーション」だから、仲間になることが前提となる。武蔵野女子学院のOGが本当に友達を大事にしているのには、毎日のキャンパスの登下校にも仕掛けかがあったのだ。
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