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「現代の教育学」を私学的切り口で読む【01】補足

☆「現代の教育学」を私学的切り口で読む【01】で、

公立学校は能力主義というメリトクラシーの枠内で教育改革をしていることになる。ところが私立学校の多くは、建学当初から、子ども一人ひとの才能を認める才能主義である。しかもそれが正当なのは、建学の精神・教育理念に基づいた才能主義であるからだ。

☆と書いたが、なぜ理念があると才能主義を担保でき、理念がないと担保できないのか。

☆それは獨協の校長を久しく勤め上げ、戦後教育基本法成立に尽力した、あるいは小柴博士の誕生のきっかけをつくった天野貞祐の思想にヒントがある。

☆理念は理性から生まれるイデーであるが、それをコントロールできるものは、論理にはない。実践にもない。美学的判断にもない。これは極端かもしれないが、カントの考え方である。理性をめぐる、ほかの能力とのかねあいをどうするかが、カント以降世界問題になり、今なお実は解決などついていない。

☆むしろ、永遠に開放された問題で有り続けることが重要で、それを私立学校、たとえば天野貞祐の場合だと獨協が保守している。この持続可能性は、公立学校には制度上あってはならないのだから、市民は思考停止をしないようにチェックし続けねばならないわけだ。

☆ともかく、メリトクラシーである能力主義、merit主義は、そんなコントロールできない理性から生まれる理念など面倒見切れないわけである。それゆえ、論理と道徳で教育を行おうとした。公立学校の教育にリベラルアーツが根付かない理由はここにある。戦前はここが未分化で、教養主義の功罪として問題はあるが、リベラルアーツの片鱗はあった。

☆これに対し天野貞祐をはじめ私学人は、理性から創造性が生まれるのだから、この創造性を生みだす理性をコントロールする建学の精神、つまり倫理を標榜した。そしてリベラルアーツこそ私学の教育だと。

☆国家は、コントロール可能だと認定した才能者のみを天才と呼び、表彰した。私学は、すべての子どもたちに創造性の発露を可能にする教育、ただし、倫理をいっしょに教育するシステムに挑戦し続けた。

☆理念なきところに世界の問題を解く関心も方法も思想も生まれない。それゆえ戦後に生まれたポストモダンは、大きな価値観やストーリーを喪失し、人に迷惑をかけなければ自分の興味と関心をコンセプトに生活を送る、いわゆる理念なき個人主義が横行。

☆一見道徳的だが、倫理なき言動が平気で突発的に起こるのはそういうわけなのだ。道徳とは、言動の形式であり、いわゆるマナー。内側に充満する倫理的価値とは違うのである。

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