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かえつ有明の見識

☆トリニティ教育研究所フェローの鈴木裕之氏が「かえつサイエンス科論」の第2弾≪新しい学習プログラムの試み 2 -かえつ有明中高「サイエンス科」その2≫を書いている。

☆その中に、山田先生の語りを紹介している部分がある。

「アメリカでは、大リーグに代表されるように、個性や才能を重視する社会に見えるが、実はその前段階ではきっちりと型にはめている。コーチに従わないと強く叱られる、指導者へのリスペクトを要求される社会なのだ」と。

☆この部分、ああこれはアメリカの良心ではないかとピンときた。アメリカの良心とは自由を保守する普遍主義的道徳なのである。

☆9.11以降、ブッシュ政権はこのアメリカの伝統を放棄したといわれている。それを回復すべく、昨日オバマ大統領は、安保理首脳級会合の議長を務め、全会一致で、「核兵器なき世界」の条件作りを目指す決議1887を採択した。

☆ある意味歴史的瞬間であるが、それを支えるのはアメリカの良心。この良心をベースにするアメリカ合衆国だったら、カントが著書「永遠平和のために」で夢見た世界共和国に近い。

☆実際、この著書は現状の国際法や国連の発想のベースになっている。それが再び戻ってきたわけだ。

☆このアメリカの良心というのは、実に自己言及的なのだ。自由と型は矛盾するからだ。自己言及とは、たとえば、正直者が、正直に「嘘をつきました」と言ってしまったケース。

☆嘘をついたこと自体は、正直ではないじゃないかというわけだ。数学的あるいは論理学的には、この矛盾を論理的にどう解決すべきかということが少しは問題になるのかもしれないが、良心の問題としては、この矛盾が常に自らの言動を批判的にチェックする機能を果たすのである。

☆自由と言っても型からはずれると、それは自由ではなく身勝手というのではないか。一方、型にはめると自由ではなくなるのではないか。このダブルバインドが、創造的破壊につながるわけだ。

☆ところがその矛盾に痛みを感じないで、どちらか一方を前面に出すと、とたんにエゴになるのだ。

☆アメリカの良心とは、一国の理念ではない。世界合衆国としての世界共和国という枠組みを形成する普遍的なモデルである。

☆この感覚は、昨日の国連総会一般討論で演説した鳩山首相の基本思想「友愛」にも通じる。

☆鈴木氏はかえつのサイエンス科は≪「よりよく生きる術」を身につけた生徒を育成する≫と感じている。

☆よりよく生きる術の中には平和構築の言動というのもあるのだろう。中等教育での学びと世界平和とは一見すると異質なできごとだが、自己言及的な批判的精神のものの見方という点において結びついているのではないだろうか。

☆かえつの見識は世界に通じているのである。

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