佼成学園女子のPISA型入試に学ぶ
☆私学市場や受験市場では、「入試問題は学校の顔」という表現が人口に膾炙されている。入試問題はその学校の教育の質を最も見える化している表現態であると言い換えることもできるだろう。
☆しかも、入試問題は、一人の教師がつくるわけではない。学内でチームが結成され、議論・編集の過程を通して作られる。そして採点も教師が一丸となって行うわけだ。採点後、許容や一問一答の正答率の結果について振り返りも行われる。
☆だから、本当のことを言えば、入試問題こそ教師の力が表れるのである。
☆そういう話を踏まえて、昨年から開始した佼成学園女子のPISA型入試問題を改めて見えると、柔軟でタフな教師力が学内に形成されていることがよくわかる。
☆OECD/PISAの問題を分析してきた経験から、いかに日本のテストがメリトクラシー強化のためのものであるかということを実感してきた。テストとは問いと答えというコミュニケーションの1つの形態であるが、日本の教育では、日常のコミュニケーションとテストのコミュニケーションがほぼ一致する。まず抑圧的で上から目線だ。
☆ハーバーマスやルーマン、ガーフィンケルという社会学者が、そのような戦略的で抑圧的なコミュニケーションを批判し、人間本来のコミュニケーションシステムを回復しようとしている流れが、OECD/PISAの流れにあるのだが、そういう点でゆとり教育も脱ゆとり教育もまったく時代に逆行している。
☆しかしながら、日本の教育において唯一の救いは、かれら社会学者と同じ理念で、人間本来のコミュニケーションを回復しようと、明治維新以来ふんばってきた機関がある。それが私立中高一貫校という≪私学の系譜≫に由来する機関である。
☆それゆえ、この機関が行う入試問題の中には、人間そのものの本来的なコミュニケーション能力を育成するメッセージが込められている場合が多い。入試問題ごときで何を大げさなとか、本間って人はイッチャテルよとは、昔から言われてきたが、それはメリトクラシーの領域から聞こえてくる言葉だと解し、わが道を行くことにしている。
☆さて、そういう意味で、PISA型と名のつく入試問題には期待をして分析をしてきた。もちろん膨大な量があるので、盟友岡部氏と2人だけではまとめきれず、四苦八苦はしているが・・・。
☆ともかく、PISA型だと評判の全国学力テストを見て驚いた。似て非なるものだった。公立中高一貫校の適性検査もPISA型だと言われているが、それもまた違った。こちらは、世間が勝手に称しているだけだから問題はないが・・・。
☆そして今回佼成学園女子のPISA型入試を拝見して、名実ともにPISA型であり、PISAの問題以上に、子どもの本来の学びの領域を問う構造になっていることに感動した。
☆全国学力テストにしても、公立中高一貫校の適性検査にしても、佼成学園女子のPISA型入試にしても、情報を確認し、分類分析をし、批判的に編集していくという思考力・表現力の過程を重視しているという点では、一見すると差異はない。もちろん、全国学力テストは、その過程にかなり補助輪をつけているから、実際には誘導的で、本当に考える問題になっているのかどうかは疑問はあるが・・・。
☆ともかく、「思考力・表現力」という言葉だけでは、差異がわからない。問題は学びの活動領域の設定である。
☆感覚的な認識領域ときっちり型の学習スタイルという領域に囲まれたところで、いくら思考力・表現力を発揮しても、それはトレーニングの域をでない。身体に覚えさせるということだろう。
☆論理的な認識領域ときっちり型の学習スタイルという領域に囲まれたところで、思考力・表現力を発揮すると、能力主義的な世界、つまりメリトクラシー社会を形成し、きっちり勉強していく人間が多数を占めると、それがローカルな道徳になる。
☆論理的な認識領域とのびのび型の学習スタイルという領域に囲まれたところで、思考力・表現力を発揮すると、創造的で独自性に富むけれど、その時代時代の社会と葛藤をおこしがちだ。
☆感覚的な認識領域とのびのび型の学習スタイルという領域に囲まれたところで、思考力・表現力を発揮すると、アイデアの瞬発力やモチベーションは高いけれど、その現実化力が弱いケースが多いだろう。だから、このモチベーションをきっかけに、それをきっちり型と論理的認識の領域に引きずり込むのが、現状のキャリアデザイン。夢見てんるんじゃないよというのがその言葉だ。
☆感覚的できっちり型の領域の場合。そこに居続けると社会でうまく働けないから、やはり論理的できっちり型の領域へ無理やりシフトさせられる。自分の考えを相手に伝える共通言語を持っていないと生きていけないよと叱られて・・・。
☆20世紀型日本は、それでよかったのかもしれない。きっちり型で論理的な知識エリートが、社会をけん引し、国民はそのためのスキルが不足しているから、それを補てんしてあげなきゃというのが日本の公立の教育だったのかもしれない。
☆しかし、それではおもしろくない。創造的でない。合理的で効率のよい高技術も重要だが、すべての人が持っている新しい発想を形にするにはどうしたらよいのか。それにはのびのび型で論理的な学びの領域も開放する必要があるのではないか。それが私立中高一貫校のスタンス。ここで大事なのは、4領域すべてのつながり・広がりが重要なのだ。
☆うだうだ述べてきたが、そのことを図にしてみた。ここでは結論しか述べられないが、佼成学園女子のPISA型入試は、≪私学の系譜≫を継承した学びの領域を大事にしていることがわかるし、その問いの構造も、複雑系である。教育の質の高さを見える化しているテストデザインになっていると思う。
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