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伸びる学校[061] かえつ有明の成長つづく<02>

「伸びる学校[060] かえつ有明の成長つづく」のつづき。

今月7日午前、かえつ有明教育講演でスピーチさせていただいた後、午後は、多くの先生方からお話を聴くチャンスをいただいた。

☆創立106年を迎える私立学校が、建学の精神を不易としながら、教育イノベーションに挑戦してさらに飛躍していく過程に立ち会う機会をいただいたわけである。

☆2006年に今の有明エリアに移転し、共学校になり、校名も校舎もカリキュラムも大胆に変えた。しかし、何より興味深いのは、全く新しい「サイエンス科」という授業をつくったということであろう。

☆有明キャンパスに移転という大事業に立ち会った髙木先生と芦澤先生になぜ「サイエンス科」だったのかと尋ねたところ、

「大学に進学する学業を積む環境をつくるのは当然だったのですが、それだけでは新生かえつ有明の魅力とはいえないと皆判断していたのですね。やはり人間性の育成が重要で、その側面は私立学校はそれぞれ特色をもっているものです。新生かえつ有明建設のために、多くの学校を訪れました。そして多くの先生方と話しました。かえつ有明の創設者の思いも改めてたどりました。」

☆わかりやすい言葉で語ってるけれども、これは要するにていねいにマーケティングをしたということを示唆している。そしてさらに、

「日本の社会や世界を支えるリーダーが育って欲しいという創設者の思いに応えるには、抽象的に考えていてもよい発想が生まれてこないものです。創設者嘉悦孝は、その思いを当時の時代認識の中から、時代が必要とするものは何かから汲み取りました。だから私たちも、今の時代のニーズは何かから始めようと。それは現校長の思いでもありました。21世紀にはいって、理科離れという問題が浮上してきました。その原因は理科という教科の問題ではなく、そもそも科学への憧れ、科学の重要な価値が薄れてきたことにあるのではないかと。そこで教科を超えて科学の根本に立ち返るような授業をつくりたいという思いが≪サイエンス科≫という名称につながったのだと思います。」

☆たしかに、科学技術立国といいながら、科学のない技術が優先することによって、一般市民の手から科学がこぼれていくと言われているが、その本当の危険性についてはあまり論じられていないのが現状である。≪サイエンス科≫の出発点である発想それ自体が、実は挑戦だったのである。

☆それからもう1つ極めて重要なものの見方についてもお話を聴くことができた。

「それから生徒たちの内面に変化が現れてきた。これはかえつの生徒だけでの問題ではなく、日本のこどもたち全体の問題ですが、毎日生徒と接しているので、それはひしひしと感じたんですね。その変化というのは、当時の生徒は、自分の興味のあることについては、自分なりに考えて発信もできたのですが、どうももっと広い社会の問題等に関しては、自分の考えを話すということがなくなってきていたように感じたのです。それはやはりなんとかしなければならないと。生徒の将来から逆算して、とにかく視野を広め、自分で考えて人の前で堂々と発表できるようなプログラムを作らねばという思いが私たちにはありましたね。」

☆理科離れの大きな原因でもあるかもしれないこの日本の子どもたち―実は大人もそうなのであるが―の価値観の変化への敏感なセンサーはさすがである。

☆この状況を東工大学大学の東浩紀教授は、2003年10月号の中央公論でこう書いている。

来るべき社会では、各人がばらばらの考えをもち、自分のまわりの局所的な利害しか関心を向けていなくても、情報の集積がネットワークを介して全体の秩序を生み出していく。そこには抑圧も強制もない。人々は、高度な情報環境の支援を受けてたがいに緊密に協力している。あるいはさせられているが、そのことには気がついていない。それは確かにユートピアのように響く。しかし、筆者は、その状態こそが、巧みな『管理された環境』だと考える。そこで賞揚されている創発的な秩序の原理は、民主主義の蓄積よりも、むしろ統計学やゲーム理論にもとづいている。

☆東浩紀氏は、宮台真司氏とともに現代社会の問題を鋭く見抜く批評家として人気の高い若手の学者である。この見解は現代社会の問題として今では広く共有されているが、髙木先生や芦澤先生をはじめとするかえつ有明の先生方は、日々生徒と接しながら同じ問題を共有していたのである。

☆麻布の氷上校長も広報誌「麻布の丘に」(2009年10月発行)で、こう語っている。

今日われわれを巻き込んでいる社会の特色は、一言でいえば人間関係が希薄な社会、と言えるのではないか。傷つくことをおそれて、人とナマの関係に陥ることを避け(ケータイ・ゲーム・パソコン!)、およそ他人というものに出会うことがなく、尊敬また畏敬する人との邂逅はあり得ないほどに難しい。自己の小さな欲求にのみ過大な関心をはらい、そのくせ、我を忘れてのめり込みそうな価値への接近には慎重にブレーキをかける。お金の確保による小さな身の保全が第一。人間的成長は二の次。公共的なるものへの献身は三の次・・・・・・。

☆このような社会の中にあって、子どもたちが内なる灯を消さず希望を捨てずに生きていくサポートをしたいという思いがお二人の先生方から熱く伝わってきた。そしてそれが創設者嘉悦孝先生の精神に通じているのだということも。

☆この≪サイエンス科≫への思いが、新生かえつ有明が成ってから4年目を迎え新しく入ってきた先生方にどのように伝えられていくのか。これはまさに私立学校の不易流行の展開そのものであるが、実際に≪サイエンス科≫を運営している若き教師からも話をお聞きすることができた。この話もたいへん興味深い。次はこの点について書いてみようと思う。

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