09≪クオリティスコア≫首都圏女子校
09≪クオリティスコア≫首都圏男子校のつづき。
☆昨年と比べ、大きなクオリティスコアの変更は、佼成学園女子である。
☆PISA型入試の背景にある教員のTransversalな新しい動き(ビッグバン的というか)が、あらゆる領域にクリエイティブな風を生んでいる。
☆今まで多様で多彩なよい活動を行ってきたが、それがつながって見えなかったのだと思う。この暗黙知を形式知に転換する大きなきっかけが、PISA型入試問題の制作だったのかもしれない。そうしてその連鎖反応。
☆そこで起こったことは、たとえば一見小さなできごとである「挨拶奨励」の教師の話し合いの中にもシンメトリックに、PISA型入試問題制作のアイデアが産出されているのだ。やはり有機的システムというパラドックス(有機的とメカニックなイメージをもったシステムは一見矛盾する)は大きな変化を生む。
☆それに比べ、フェリスや雙葉、横浜雙葉は、キリスト教精神に拠らなければ、教育の質はどうなるのだろうかと少し心配になる。もちろんキリスト教精神があるからそれでよく、全く問題がないのだが、聖書の言葉はもっと意味深いし、パラドクシカルだし、ダイナミックな霊的要素があるはずだが、どうもその逆を行っているような気がしてならない。大学進学実績ではなく、≪私学の系譜≫としての社会的リーダーの役割を果たす動きに転じてもよいのではと思うのだが。。。まったくもって余計なお世話であるが。
☆さて、クオリティスコアが2.8以上3.1未満の学校には大きな共通した特徴がある。学内のリーダーシップのあり方がわりと専門家型リーダーが多く、戦略型リーダーが限られていることである。かなり民主主義的ということになるか、教育と経営は完全に分離しいるかどちらかだろう。
☆21世紀は、クリエイティブ時代に突入している。もはやピラミッド型組織では対応できないのは明白で、それは学校も同様だ。公立学校の決定的な不安材料は、この点であるのはいうまでもない。
☆では横断的であればよいのか?これはピラミッド型組織の中心点を多様化しただけで、基本はピラミッド型。規律統治型といってもよい。ではフラット化すればよいのか?これもうまくいかない。市場ではお金というインセンティブがこのフラット化を歓迎したが、倫理観のコントロールができないために、パニックになった。それが世界同時不況の姿だった。
☆教育において、お金がインセンティブにはならない。だからフラット化するとすぐに学級崩壊のような現象が生まれる。
☆ではどうすればよいか。それはモーツアルトの作品のようにではないか。権力に挑む音楽。神の境地にいきつく音楽。庶民のハートにシンメトリックに崇高さをインストールするPC的発想。それでいてパターンがあり、フレームがある。ただし、崩れながらエネルギーを溜めながら、脱構築するトランスフォーミングのパターンではある。
☆フェリックス・ガタリだったらカオスモーズ(カオス=混沌×コスモス=秩序×オスモーズ=浸透)という方程式だろうか。ガタリの思想はリベラルアーツの進化系である。IBプログラムのコアであるTOKの最高のテーマだとは思うが。。。
☆こういう話をしていると、本間はいっちゃているよとある教育・受験産業のある幹部たち。でも水面下では、そういう話で盛り上がっている学校の教師グループがある。理由は簡単だ。世界で勝負するのに、こういう発想や思考に慣れていなくてどうするのというわけだ。
☆するとかの幹部たちは、カネにならないと。20世紀型資本主義ではたしかにならない。しかし、日本もようやくクリエイティブ資本主義になろうとしているわけだ。そこで、勝負するのはどっちか。
☆もっとも学校の先生方は、そこでおカネの勝負をする気はさらさらないのだが。。。
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