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「変貌する教育学」の公立と私立の違い①

☆「変貌する教育学」(世織書房2009年8月)が、東大教育学部の教授や出身教授を中心に編集されている。政権交代前に上梓されているから、微調整しながら読まなければならないが、日本の教育のあり方を表現している「教育学」の危機を問うている姿勢においては、政権交代によってなんら変わらないし、むしろ促進されるかもしれない。

☆しかし、この手の本を読むときに、心得ておくことは、「日本の教育の危機」や「教育学の危機」の当事者は、初等中等教育レベルにおいては「公立学校」であるということだ。

☆「私立学校」は蚊帳の外なのである。それでいて、「教育学」の変貌のビジョンや「日本の教育の危機」を脱するベクトルは、「私立学校」のあり方やビジョンなのである。

☆「私立学校」は経済格差の1つの象徴であるかのようにときどき表現したりしているからなのか、下手に「私立学校」について言及すれば、それは文科省が介入しているかのごとき誤解を生むということからなのか、慎重に扱われていると言えばそういうことなのかもしれない。

☆ともあれ、巻頭論文の今井康雄教授は、「教育学」は「学」として確立していない。戦後もはや思想家が教育学を語ることはなく、理念なき実証主義的「教育学」が成立したと。しかし実証主義といえば、聞こえは良いが、つまり科学的ではあるが、実際には現場中心主義なのだと。つまり理念を度外視した方法論があふれた。わかりやすさが求められた。

☆そしてそれを可能にしたのが国や自治体の教育政策のようだ。「新しい学力観」「生きる力」などという理念を具現化する政策によって、理念問題は「教育学」や現場から捨象することが可能になった。

☆これによって、社会が金融資本主義に移行すれば、それに瞬時に対応した教育政策が現場に直接浸透するように動いた。しかし、教育現場ではその衝撃に対抗することも動くことも出来ず、低迷することになった。

☆今こそ「学」としての「教育学」をということだろう。しかし、「学」として成立するには、より普遍主義的な教育のルールである理念問題を避けて通れない。現場の教育行動原理が、ローカルルールなのか普遍ルールなのか、その議論がポイントになってくる。科学の世界で科学コミュニケーションが問われているが、教育学においても教育コミュニケーションが問われることになるということだろう。

☆それにしてもこの「学」としての「教育学」のあり方は、私立学校誕生以来不易流行としてすでにある。私立学校の教育学をモデル化する時が来たのだと思う。

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