« 私学市場の意義[02] | トップページ | 私学市場の意義[04] »

私学市場の意義[03]

私学市場の意義[02]のつづき。

☆私立学校は建学の精神に拠って立っている。だから伝統を大事にするし、その伝統を時代の変化にどう影響を与え与えられるかということを、生徒と共に考えるチャンスをつくっている。

☆そしてこの建学の精神は、公立学校に比べて普遍的であるがゆえに、どうしても地域からもっと広い世界に広がっている。公立学校もある意味教育基本法や憲法が創設の理念と考えてよいが、実際には地域内のさらに学校内の目標に拠って立っている。

☆私立学校の場合、その創設者の精神の故郷は、儒教やキリスト教や欧米の哲学にある場合が多い。それゆえ、建学の精神をたどるために、海外研修が多くなる。

☆たとえば、大正デモクラシーやヨーロッパ啓蒙主義(特にJ.J.ルソーの思想)に影響を受けている建学の精神を有しているある私立中高一貫校などは、高一の段階で、EU研修を行っているほどだ。

☆ここにはプログラムというプロダクト、飛行機や電車、バスなどの遠距離移動、宿泊や食事などの消費が生まれる。つまりこれは立派な私学市場なのである。

☆しかもこのプロダクトは、既製品やパッケージのものを活用することはほとんどない。建学の精神と未来のビジョンに合わせた特注の場合が多い。

☆だから、学校の教師とコーディネーターと旅行会社が一丸となってやらねばならない。しかも、コーディネーターは、ある一定水準の見識とフットワーク、ネットワークを持っていなければならないなんでも屋でなければならない。この私学のプログラム・コーディネーターの職業は、13歳のハローワークなどにはでてこない何をやっているかわからない怪し気な仕事である(笑)。

☆ルソーの現代的精神やその実態は何に顕在化しているのか。それは共和国的発想であるから、ヨーロッパ合衆国としてのEUの精神に触れる必要がある。EUの中心地はパリではなくストラスブールである。この地にはEU議会が設置されているが、その近くにはJ.J.ルソー通りがある。ルソーは一時ストラスブールに立ち寄っているが、そのときヒュームに出会いけんか別れするまでイギリスに滞在していたらしい。

☆ルソーやヒュームのアイデアを啓蒙哲学としてさらに普遍化したのはイマニュエル・カントであり、デリダやローティ、ハーバーマスが今でも議論している世界共和国の発想を確立した。あまりに理想的で揶揄されることもあるほどだが、基本的に国際平和に影響する国際法の概念に今も生きているし、9.11移行再検討もされている。

☆カントの世界共和国の発想は、今の国連に戦後真っ先に受け継がれいる。ニューヨークの国連からストラスブールに向かう道のりもあるが、それではコストと時間の問題がある。そこで、ウィーンの国連を訪れてから永世中立国でEUに加盟していないスイスを介してストラスブール入りしようという議論になる。教師もコーディネーターも旅行会社のスタッフも、もはや観光旅行のスケジュールを考えるのとはちょっと質が違うことに気づきながらコラボしていく。

☆スイスはベルンでパウル・クレーを見たい。ストラスブールからパリへいったとき、カンデンスキーと出会う。二人はバウハウスでも教鞭をとっている。ああ、そしたらベルリンも寄りたいとなるが、そのナチの自由を奪うというより命も奪う圧力にバウハウスもさらされているが、問題はそのジェノサイドに向かう心性を知ること。

☆それはストラスブールというかアルザスの地で学ぶこともできる。すさまじいメモリアルと強制収容所の跡を見学できるところがある。そこで学ぼうということになる。ここで何が起きたか。そして今も世界の戦争で何が起きているのか。

☆クリティカル・シンキングで臨まねば意味はない。そして何気なくアルザスからライン川を歩いてドイツに渡ってみる。EUの意味がその橋にあるのだ。

☆現地では、CEEJAというストラスブール大学(ゲーテやパスツールの学んだ大学だし、講義もしていたらしい)とコラボしたアルザスの自治体が運営しているいわばNGOの研究所で、日本学研究所ということになるが、そこにお世話になるのが一番だ。

☆その事務所は、もとアルザス成城が使っていたところを拠点にしている。そのため、ストラスブール大学と日本の大学(同志社・立命館・早稲田etc.)が協働研究活動を行う時に使っている。ホテル並みの宿泊施設にリニューアルされているからだ。

☆所長のクライン氏と、日本の大学との協働研究や日本の企業の誘致活動だけではなく、中等教育時代から世界で活躍する人材を育てるチャンスとして使えないかと私学の先生も交えて話し合ったりセミナーを開催して5年以上経ったが、それがやっと本格的に動き始めた。

☆8人ぐらいのチームに、1人チューターが参加する。ストラスブール大学の大学院やCEEJAのスタッフである。彼らは専門的な研究活動以外に日本語も堪能。

☆午前中から夕刻にかけてアルザスの各所をフィールドワークして宿舎に戻ってきたら、今度はチューターとディスカッションである。「戦争と平和」「環境」「思想」がテーマになるけれど、ミュージアムに行ってきて気づいたことを話し合うというよりも、街中がミュージアムそのものだから、リアルな体験を経験知に変化させるための本格的なクリティカル・シンキングの時間になる。

☆社会学や哲学専攻の院生が多いせいもあって、日本ではちょっと考えられないシティズンシップベースのディスカッションが行われる。よく生徒もついていくなぁ感心するが、チューターは、フィールドワークの要所要所で、集まってすでにそこで大激論を交わし(ここはフランス文化!!)、それを高1にどうわかりやすく感じてもらえるかという編集までしてしまう。

☆多くのチューターは日本にも留学しており、フランスと日本の文化の違いに大いに興味を持っているから、まったくもって議論が知識の出し合いではないのである。この局面はちょっと感動的だ。

☆大事なことは、コーディネーターと学校の教師。議論させっぱなしにはしないのが肝なのである。

☆だから、フィールドワーク中もやはり参加している。その日の最後に教師はまとめるのではなく、さらに促進できるメタ認知的な内容をコメントするのだ。そのコメントにチューターがどう共感するかどうか。それは教師とそれをサポートするコーディネーターのチャレンジである。チューターはリスペクトと批判の両方を兼ね備えているから、そこはなかなかおもしろい。その真剣勝負を生徒も感じると、展開がさらにおもしろくなる。

☆私学市場とはこういう活動も意味している。CEEJAのような学術NGOがコラボすることで、旅行会社も利益ということに対する概念を、通常のツアーパッケージの作り方と変えねばならない。私学市場と一般市場の差異も明確になる瞬間だ。利益とはお金ではなくクリエイティビティに変質する瞬間なのだ。それこそが利益。

☆安いとか高いとかいうところに焦点があたるのではなく、クリエイティブティとしてどれだけ役に立つかということである。

☆これが公立の場合、できない。コンペでたたいて安いパッケージを採用するだけだ。いっしょにやらないかとコーディネーターが誘われても、その分は計上されないから、コーディネーターは断る以外にない。すると現場の教師が見よう見まねで組み立てていく。日本の教育が本当に変わらないのは、クリエイーターが教育委員会にいないということなのだ。どんなに税金をつぎ込んでも、質は変わらない。だからといって、無駄だとは思わない。ただ、変わらないということだ。

☆そこが私学市場と大きく違うところだ。しかもそういう新しい創発型のプログラムを編み出そうという私学は、必ずしも財政が潤沢ではない。だから切りつめて切りつめて、創意工夫して運営していくのだ。金融市場のようなレバレッジ現象は起きない。

☆しかし、クリエイティビティのレバレッジは起きる。同じ文化圏どうしでいくら議論しても批判的思考はそうダイナミックではない。ところが異文化圏で議論をした場合、その効果がどれほど絶大であるか推測に難くないだろう。

☆ただ、一般の海外研修は、英語を学ぶものが多く、議論を埋め込むプログラムは作り難い。チューターの日本語力が問題だからだ。そこへいくと日本学研究所の水準はハイレベルだ。

☆ともあれ、今回は私学市場の1つのあり方を紹介してみた。

|

« 私学市場の意義[02] | トップページ | 私学市場の意義[04] »

教育イノベーション」カテゴリの記事