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2010年度 首都圏私立中高一貫校入試動向[03]

2010年度 首都圏私立中高一貫校入試動向[02]のつづき。

☆幕末の志士、坂本竜馬や勝海舟らが横井小楠と会って話し合ったというのはこんな感じだったのだろうか。あるいは、新渡戸稲造や内村鑑三の聖書を読む会で、教育刷新委員らが戦後教育基本法について議論していたのはこんな感じだったのだろうか。

☆ふと最近の私立学校の先生方との対話の会に参加していてそう感じる。舞台は茶屋ではないのだが(笑)。

☆それにしてもそこで出会う先生方は、横井小楠や福沢諭吉、江原素六、ヴォーリズ、内村鑑三、新渡戸稲造、石川角次郎など≪私学の系譜≫を継承している先生方ばかりだから尚更である。

☆活躍した幕末の志士の中に、≪私学の系譜≫と≪官学の系譜≫のパラドクスが誕生した。それ以来日本の教育は、ダイナミックな人づくりのシステムが発展してきたのである。

☆まずは、欧米列強が近代国家間の衝突をした時期である。同時にそこで世界共和国の思想も生まれている。ここにも両系譜の種があったわけである。

☆そして冷戦を生みだす米国主導の戦後処理。米国覇権の誕生である。なし崩し的に金本位から変動相場制にシフトし、世の中は相対主義、そして理念なきポストモダニズムにシフトしていく。そのことを予感していたかのように、南原繁率いる教育刷新委員会は、「聖なるもの」を保守する教育基本法成立に尽力した。

☆この教育刷新委員のメンバーのほとんどが新渡戸稲造と内村鑑三の弟子である。カトリック信者だった田中耕太郎、天野貞祐でさえも弟子である。座長の南原繁、河井道、ソニーの生みの親前田多門もプロテスタントの信者で委員のメンバー。前田多門の娘神谷美恵子も陰に陽に活躍した。

☆戦後は「2人のシゲル」によって、未来の日本は描かれたと言っても過言ではない。南原繁と吉田茂。南原繁は内村鑑三の弟子で、矢内原忠雄とともに戦後日本の未来を構築するリーダーだった。南原繁は、ドイツ哲学者氷上英廣の義父。その息子が麻布の校長氷上先生。若き氷上先生の授業を受けて大いに刺激を受け、のちにその純粋さを批判的に学問に生かしていったのが宮台真司氏。

☆吉田茂もカトリック信者で、カテドラル再建の委員長も引き受けている。吉田茂の信頼すべきブレインは、あの白洲次郎。

☆世界共和国の発想は、南原繁ばかりではなく、西田幾多郎の弟子務台理作や天野貞祐によっても注がれただろう。

☆その普遍主義が、2006年12月に改訂された教育基本法によって、踏みにじられる。一見そんなことはないかのように見えるが、国家主義的サポートがいつでもできるように文言が挿入されているし、中等教育、高等教育の年齢によって、学ぶ目標が微妙に変わっており、ローカル普遍主義と要素還元主義的学力観が見え隠れする。

☆世界共和国としての普遍主義と関係総体主義的学力観をビジョンとする戦後教育基本法とは差異があるのであるが、ポストモダニズムは、その差異を無化するほど理念は無価値となっていた。

☆冷戦崩壊、ベルリンの壁崩壊、EU成立は、戦後の後退を解体するはずであったが、世界戦争の舞台が、中東アジアやアフリカにシフトし、化石燃料による欧米・日本のトライアングル経済体制は強化される一方だった。そしてそれはファンド資本主義でバブルが膨張した。

☆しかし、バブルははじめから崩壊が織り込み済み。すべては変動相場制と予測不確実な金融バブルの崩壊によって、その進行をいったん止める事態が起きた。リーマンショックが発端だが、それはファンド資本主義の条件でもあり、逆説的ではあるが、BRICs台頭によって、欧米・日本の経済成長のダイナミズムが稼働しなくなった。トライアングル経済体制をベースにする産業構造の大転換を意味していた。

☆BRICsはモノづくりを、欧米は金融づくりを、日本はモノづくりのモノづくりを、そして中東は化石燃料づくりを果たしてきた。あたかも分業がうまく機能しているようだったが、トライアングル経済体制は一蓮托生。

☆金融バブルの崩壊の火は、欧米のみならず、世界に広まった。その中で、生活必需品を大量に生産するBRICs(といってもロシアはまた別であるが)は成長回復を早めに果たし、欧米は財政政策でなんとか果たそうとしている。しかし日本はモノづくりのモノづくりがゆえに、財政政策にしても金融政策にしても、すぐには波及しない状態になっている。

☆世界の経済の地政学的条件が大きく変わった今、日本は従来の経済政策で乗り切ることができない。勤労・勤勉・資金資源倹約ではやっていけない。労働の仕方、勉強の仕方、資金調達の仕方、資源活用の仕方すべてを変えなければならない。

☆これは時間がかかる。そこで再び幕末志士・教育刷新委員の末裔である私学人の出番だということになった。再び理念の脱構築、新しい学びのシステム、新しい価値観づくりを明日からやっていこうと動けるのは私立学校なのである。

☆そうそう、今回紹介した幕末の志士や教育刷新委員のメンバーは、直接間接≪私学の系譜≫に関係している人材であることはもはや言うまでもないだろう。

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