« 一日一言 新渡戸稲造【002】 | トップページ | 私学市場の意義[06] »

一日一言 新渡戸稲造【003】

一日一言 新渡戸稲造【002】のつづき。

☆12月4日 心配事

心配事をためておくことは、食いだめと同じで何の役にも立たない。ただ、食事は時間を決めて、あらかじめ注文することができるが、世の中のことは予想通りにはいかないので、これまでの心配は無益なものとなる。平素から胃腸を丈夫にしておくことが重要であるように、日頃からものの判断力を養っておけば、何かあったときにとまどうことはない。

☆新渡戸稲造は、さらりと書いているけれど、この判断力がそう簡単に身につけば苦労はしない。

☆だいたい判断力とはそもそも何なのか?選択に迫られたときに、自己の自由意志に基づいて決断することだと仮にしたとしても、そもそも選択肢そのものが最適のグル―ピングなのだろうか。

☆別の選択肢が隠されているのではないだろうか?そういうクリティカルシンキングはいかにして可能なのだろうか?

☆心配事を避けんがために、食事を注文するように、予想してみるが、世の中のことは予定通りにいかない。そもそも無益なのだという不安はどこからやってくるのだろうか。

☆それは自己防衛、自己保存の原則からやってくるのだろう。この原則が常に破られる危機意識。しかし、この危機意識は、目の前の危機にとらわれすぎて、全体を把握する判断力を麻痺させてしまうリスクがある。

☆全体を把握するとはまたどういうことなのか、それはシステムの要素間の関係を見抜く力である。つまり要素同士の差異と共通性を見抜く判断力。選択肢というそれぞれの差異と共通性を分別する判断力。

☆この判断力の養われない世界では、悲惨な運命が待っている。新渡戸稲造の生き抜いた時代は、まさにこの判断力を必要としていたのに、日本はその選択をしなかったのだから。

☆新渡戸稲造は、このような判断力を自ら創設したり創設にかかわった学校で養おうとしたに違いない。

☆明治維新以降から今日まで、このような判断力が養成された公立学校は存在したのだろうか。もしそれが存在していたとしたら、近代官僚日本の教育の自己矛盾であろう。そんな判断力が国民全体に存在していたら、世界大戦は止められただろうから。

☆この自己矛盾を排除した結果、クリティカルシンキングは喪失された。そこを保守したのが新渡戸稲造や内村鑑三のグループであり、その系譜にある私立学校である。

☆しかしながら、果たして、新渡戸稲造の薫陶を受けた私立学校は、今もその精神を教育の中に生かしているだろうか?新渡戸稲造の精神の現代化に挑戦しているだろうか。

|

« 一日一言 新渡戸稲造【002】 | トップページ | 私学市場の意義[06] »

新渡戸稲造」カテゴリの記事