一日一言 新渡戸稲造【004】
一日一言 新渡戸稲造【003】のつづき。
☆12月5日 人との交流の道
広く人々を愛することを、思いやりという。思いやりは世の中で人々が親しみ合ううえでの道理である。たとえ心の良くない人でも、この心を忘れてはならない。・・・・・・思いやりの心を持っているということは、自分の人格を高めるもので、広く人と接し、徳を持った人を自分から慕って親しく交際すべきである。これは荻生徂徠の教えである。
☆ハッとさせられる一言だ。思いやりと良き心は必ずしも相関しないというのだから。
☆思いやりのある人は、心も良く、高い人格も持っていると考えがちの自分が、いかに寛容でないかを思い知らされる一撃だ。
☆思いやりとは、内面的な心根ではなく、型なのである。心の良くない人も、思いやりという言動の型を忘れなければ、人との交流はできるのだ。
☆もちろん、その型を忘れなければ、やがて心の良くない人も、人格を高め、徳を高めていくわけだから、良き心の持ち主になるかもしれない。
☆しかし、そのような改心を目的とする前に、心が良かろうが良くなかろうが、まずは型なのだという発想は、ある意味赦しの哲学でもある。
☆本音を勘ぐるのではなく、型そのものでその人の徳の可能性を信じようという無手勝流のコミュニケーションが成り立てば、戦争などは確かに起こらないだろう。
☆邪推や曲解だらけのネガティブ・コミュニケーションの今日にあって、それを防ぐのは、思いやりの型というルールなのだ。基準と言ってもよい。思いやりが道徳から倫理に進化するとは、心根がルールに変容するときである。
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