一日一言 新渡戸稲造【007】
一日一言 新渡戸稲造【006】のつづき。
☆12月8日 慈善とは何か
人をあわれみ、貧困の人々を救ったと思うのは大きなあやまりである。・・・・・・人にわかるようにあわれみを施したのでは、それはもうあわれみではなく、かえってうらみをかうものとなる。
☆イエス・キリストは人にわかるようにあわれみを施したわけではないだろうが、たしかにうらみをかったのだろう。あわれみの徴に対する強烈なルサンチマン。
☆バブルとその崩壊も強烈だ。おそらくアリストテレスからではなく、人類誕生のころから、「中庸」というのが徳とみなされてきたのは、この爆発を回避する戦略だったのだろう。
☆さわらぬ神に祟りなしでいくか、中庸でいくか、創造的破壊でいくか。
☆一見価値観の問題のようだが、紛争解決の3つの戦略選択問題である。
☆現状の民主党政権の環境や普天間問題は、心意気は創造的破壊。でも現実的な戦略は、現状では「中庸」でないか。
☆さわらぬ神に祟りなし戦略を選ばなかったことは、充分に国民に伝わっている。しかし、政権交代直後だからこそ、創造的破壊戦略はまだ機が熟していない気がする。
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