一日一言 新渡戸稲造【008】
一日一言 新渡戸稲造【007】のつづき。
☆12月9日 善意に解釈する
人の行動はなるべく好意をもって理解すべきで、証拠もないのにどうして疑うことができようか。人の行動をあやまって見るのは、その人に対して不親切であるばかりか、自分に対しても忠義に反することになる。・・・・・・
☆新渡戸稲造の寛容な心のなせるわざ。普通はこうはいかないだろう。せいぜい客観的にみようということではないか。
☆とはいえ、客観的にみることなど誰が保障できるのだろうか。たとえ相手が悪でも、善としてみなす態度。これはもう道徳ではない。超えている。ともあれ、それぐらいでやっと客観的なのだろう。
☆客観的にみるという言葉は、実はかかわらないよという言葉と同意なのだ。主観的な情熱のあとに、整理してみてはじめて客観的な姿がみえてくるのか。
☆そういえば、ある私立学校のカウンセラーは、冷静沈着だが情熱的なカウンセリングを行っているそうだ。腫れものをさわるように接するのではなく、クライアントの関係者とも静かに話す。ときには関係者とクライアントも交えて話を聞く。
☆彼女が見ているのは、目の前に広がる関係そのものである。ただクライアント1人を客観的に距離を置いて観察するのでは、何も解決しない。たしかに彼女は解決するように働きかけない。ただ関係を共有するのだ。
☆その瞬間関係が動く、崩れる、そして変わる。すると関係者1人ひとりの言動が変わる。不登校だったクライアントが急に登校し始める。そして実は本当のクライアントは父親だったり母親だったりするのだ。
☆善意に解釈するとは、目の前の人の背景にある関係をみるために重要なスタンドポイントだということだろう。人はその人以上の関係態なのである。
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