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一日一言 新渡戸稲造【009】

一日一言 新渡戸稲造【008】のつづき。

☆12月10日 無価の宝

・・・・・・このうえなく貴いものは、争わずに手に入れるものである。太陽の光も月の光も花の美しさ、子供の笑顔、親の心、友だちのまこと、神のめぐみ、仏の加護はいたるところにあふれている。金を払って手にするものは、みな価値に限りがあるものばかりで、金で買えない、価値に限りのない、大きな宝を求めるべきである。

☆この長期不況の時期に、この言葉は現実感がないかもしれないが、実に美しい言葉だし、≪私学の系譜≫のスタンドポイントである。

☆環境問題対策は、国際政治経済の立場で語られているが、本来はこの立場から考えていく問題なのかもしれない。理念とはたんなるスローガンではなく、解決のための基準、選択判断の基準である。

☆基準となる理念の正当性や妥当性の批判的検討も必要だが、そもそも基準に基づいて政策をプランするコミュニケーションシステムをとるのか、基準に基づかないでプランするコミュニケーションシステムをつくるのかは、分かれ道である。

☆正当性や信頼性ではなく、妥当性だけを基準としてプランするというコミュニケーションシステムも可能だし、文科省の教育政策は、これ以上でもこれ以下でもないだろう。

☆本来官僚はそれでよいのであるが、条件がある。それは市民に対する奉仕者であるという条件。この場合は、市民が正当性や信頼性を検討すればよい。

☆しかし、明治維新以来、官尊民卑が続き、市民とういうか国民は官に実質コントロールされている。その場合基準なき政策が動いていることになる。価値に限りあるものばかりの配分だけで生活基盤をつくってきたのである。

☆GDPが右肩上がりでなければならないという妥当性を信じて。そろそろ転機が訪れたのではないか。「太陽の光も月の光も花の美しさ、子供の笑顔、親の心、友だちのまこと、神のめぐみ、仏の加護はいたるところにあふれている。このようなこのうえなく貴いものを争わずに手に入れるて生きていける社会=コミュニケーションシステム」の時代へ。

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