一日一言 新渡戸稲造【010】
一日一言 新渡戸稲造【009】のつづき。
☆12月11日 衆生本来仏なり
・・・・・・白隠和尚のつづった和讃の中にこうある。
衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。譬へば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷ふに異ならず。
☆なんてヘーゲル的なのだろう。理念的なものは現実的なもの、現実的なものは理念的なもの・・・。
☆ヘーゲルの思想はプロテスタンティズムの哲学化だとも言われている。白隠和尚は臨済宗の僧。どこか宗教的なところは共通点があるのだろう。
☆しかし、重要なのは水は氷であり、氷は水であるが、そこには差異がある。水は水であり、氷は氷である。
☆前者が後者を忘れた時、理想主義になり、後者が前者を忘れたときに現実主義になる。両方を統合すると実用主義となる。
☆プラグマティズムがヘーゲリアン・ウェイにつながるのはそういうわけか。
☆このようなゆらぎを経ながら衆生本来仏なりの境地に達する発達図が、臨済宗の「十牛図」である。発達心理学の着想を、実は臨済宗ははるかに久しい間禅の中で、茶の湯の中で、作庭の中で継承してきた。
☆キリスト教も仏教も、衆生は本来普遍である???
| 固定リンク
「新渡戸稲造」カテゴリの記事
- 一日一言 新渡戸稲造【069】(2010.02.15)
- 一日一言 新渡戸稲造【068】(2010.02.12)
- 一日一言 新渡戸稲造【067】(2010.02.11)
- 一日一言 新渡戸稲造【066】(2010.02.11)
- 一日一言 新渡戸稲造【065】(2010.02.10)
最近のコメント