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一日一言 新渡戸稲造【013】

一日一言 新渡戸稲造【012】のつづき。

☆12月14日 正義と法

元禄15年(1702年)の今日、赤穂浪士が亡き君主の仇をうった。忠義と法律はかならずしも合致せず、昔は法を破ってでも忠義を実行し、死をもって法のうめあわせをした義士もいたのだ。今は正しい道を曲げてでも法を優先させ、法律のかげでのうのうと生きているものが多いが、法は正しい道に従い、正義は法律を正すべきである。・・・・・・

☆悪法も法なのだ。悪法かどうかは、正義に照らし合わせてということか。

☆だがその正義の基準はどこにあるのか・・・。

☆哲学放棄、キリスト教への無関心。そんな世の中でクウェーカー派の新渡戸稲造の思想は有効なのか。

☆しかし、そもそもなぜ哲学放棄や宗教への無関心があるのか。それは思考停止状態をつくる制度があるから・・・。

☆その制度を支えているのが法律。何という循環論法。

☆クリティカルシンキングの本音は、この基準の精査にある。果たしてこの学びは日本において可能なのか・・・。やはり期待は私立学校ということなのか。

☆それゆえ、新渡戸稲造は多くの私立学校設立に尽力したのか。かつて新渡戸稲造がかかわったそれぞれの私立学校は、そのことについてどう回答するのだろうか。

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