一日一言 新渡戸稲造【014】
一日一言 新渡戸稲造【013】のつづき。
☆12月15日 人の心根
・・・・・・人間も地位や財産、学の有無で自分を飾っていても、品格がともなわなければ、学問も地位もいやしいものになるだけで、その人の性格はどのようにかくそうとしてもどこかに表れるものである。
☆日本の伝統的な発想のように思われるが、おそらく普遍的な生き様感だろう。
☆コア・コンピテンス経営で有名なゲイリー・ハメルも、a“titled” leaderと a “natural” leaderとは違うと言っている。地位を与えられたからリーダーである人間とそんなものはなくてもその人の周りに人が集まり、人が動くというリーダーがいるという。後者の例にマザーテレサが入っているのもおもしろい。
☆しかし、今大事なことは、キャラとキャラクターを分けて、いつの間にか自分の本来のキャラクターを忘れ、キャラを本来のキャラクターと取り違えている場合が多いのではないか。自らキャラを付与し、そこにアイデンティティを見出す。
☆そのアイデンティティは、他者の目を気にしながら相対的に決まるし、相対的だから常に流動的だ。アイデンティティ自体が流動的なのだ。
☆というのも本来とか本質とかそういう概念は大きな物語喪失とともに軽視されているのがポストモダンの特徴だからだ。つまり普遍的なものそれ自体不要であるという世の中・・・。
☆果たしてそれでよいのかどうか、新渡戸稲造は否と応えるのはこの一日一言を読んでいると明かである。つまりこれが≪私学の系譜≫としての立場。
☆しかし、本来とか本質とか、教育理念とかについてどのように考えていくかについては、つまり時代の要請にどのように関係するのかについては、今のところ積極的な議論は浮上していない。あるかないかというより、あるとしたらどのように現代のシステムに影響するのかについて議論が広がらないと≪私学の系譜≫もたんに古い話で終わってしまう・・・。
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