一日一言 新渡戸稲造【017】
一日一言 新渡戸稲造【016】のつづき。
☆12月18日 心の内が自分
外に出てみると、最新流行の晴れやかな衣装をつけた紳士や淑女が行き交うのに逢う。そこで、自分の格好は鏡に映して恥ずかしいと思ったら、少し反省してみるがよい。・・・・・・・ただ心のうちだけが自分であることを。
☆道徳問題は、結局経済問題でもある。ここでアダム・スミスの道徳感情論と結びつく。すべての判断は、他者との間で切磋琢磨した内なる公平な観察者によってなされる。中庸ということだが、これが市場の原理の見えざる手の作用への信頼である。
☆アダム・スミスは、絶対的な基準というのはないと。しかし、子どものころから育ってきた環境の中で身に付けた基準=公平な観察者(impartial supectator)はそう捨てたものではない。
☆コミュニケーションの中で精査されていくという。このプロセスこそコミュニケーション能力そのものだ。家族、友情、学校、社会、国家、世界とコミュニケーションの場が広がっていけばいくほど、そこで活躍する個人の内なる公平な観察者は優れたものになる。
☆この公平な観察者こそ心の内の自分である。クエーカー派の新渡戸稲造の場合、さらに内なる光がある。内なる自分は、この内なる光とコミュニケーションを続けることになるのだろう。
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