一日一言 新渡戸稲造【021】
一日一言 新渡戸稲造【020】のつづき。
☆12月22日 さいはひ(福)なる者
あはれみある者はさいはひなり、其の人はあはれみを得べければなり。心の清き者はさいはひなり、其の人は神を見ることを得べければなり。やはらぎを求むる者はさいはひなり、其の人は神の子と称へらる可ければなり。ただしき事のために責められるる者はさいはひなり、天国は即ち其の人のものなればなり。
☆聖書からの言葉を引用したのだろうが、聖書というのは結局壁にぶつかったときにどうするかが記されているということだろう。
☆神の子とか天国とかでてくるから宗教の言葉だからで終わるかもしれないが、欧米ではこの言葉を幼きころから耳にしているのだ。どんな影響があるのだろうか。
☆結局パラドックスやジレンマが壁なのだ。良き心でいたい、良き言動をとりたいとは誰しもが思うが、現実はそうはうまくいかない。このジレンマを抱き続けて生きるか、ジレンマを乗り越えようとするか。
☆ヘーゲルはジレンマの乗り越えの連続を最終的に絶対精神で昇華しようとしたのだろうし、ラッセルは論理階型でジレンマそのものを解消しようとした。
☆でも、ゲーデルはでもやっぱり不完全なんだよねと証明してしまった。ニーチェは神は死んだとその鎖を解こうとした。そこからナチが生まれ、同時にナチに対する抵抗勢力が生まれた。
☆結局のところ、中庸、バランス、妥協?という解決策しかないのか・・・。
☆撤退か、妥協か、弁証法的階梯としての創造か・・・。
☆イノベーションしかないと産業界では言うだろう。創造ということか。
☆生態系の輪の中で生きることができない人類が背負った永遠のジレンマ・・・。
☆そしてそれを解こうとする永遠の不思議な環。
☆思春期とは純粋にこの両方で戸惑うトリレンマ。
☆多くはここから撤退か妥協して通過する以外にないのが現状かもしれない。
☆そのトリレンマにかかわらないようにシェルターとしての受験体制があるのかもしれない。
☆しかし、2007年に、前年の教育基本法改正に伴い、学校教育法51条に「創造性」が加わった。これは受験体制をぶっ壊そうということなのか、本来義務教育でもやらねばならないが、義務教育ではあえて創造性は開発しないという強い要望なのか、知識基盤社会に対する文科省のアリバイづくりなのか・・・。
☆どっちにしても、それを逆手にとって、職業としてのクリエーターだけではなく、美学としてのクリエーター育成のチャンスとして高校時代を活用できれば、トリレンマをエネルギーとして使えるか・・・。汐見教授の言うように「思春期学」は必要かもしれない。
☆それにしても西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」とは思春期の結晶を表現したものか?戦後教育基本法成立に、クリスチャン人脈と西田派の務台理作が協力しあったという理由が、少しわかったような気がする。
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