一日一言 新渡戸稲造【023】
一日一言 新渡戸稲造【022】のつづき。
☆12月24日 一家だんらんの祝福
この世の中でさまざまな楽しみがあるが、中でも、親子がそろってくつろぎ、むつまじくしていることにまさるものはない。お互い遠慮しない間でも、尊敬の念を持ち、つらきことも、たのしいことも、共にあじあう親子夫婦のあいだがらは、・・・・・・・
☆しかし、これは新渡戸稲造としてはめずらしく何かが足りない・・・。クリスマスイブだから、聖家族をロールモデルにしというところなのだろうか・・・。
☆だとするとなおさら?だ。
☆遠慮しないでなんでも語り合うということが、たいていは互いに上から目線で、独りよがりの思いを相手にぶつけて一家だんらんなど程遠い状態になりかねない。
☆互いにといっても交換の正義の場合がほとんどだからだ。配分の正義も贈与の正義もからみあって複雑なのが遠慮しないで互いに語り合うということ。
☆そして語りあうというのは、必ずしも言葉にすることを意味しない。語りえぬほどの深い思いと不安を受けとめる勇気を持つのが親というものだ。その姿が子どもにとってエディプスコンプレックスとなってこそ、それを乗り越えたときに一家だんらんが訪れる。
☆しかし、そんな親になどなれようはずもないかぁ。子を持つ親として反省の日々である。なかなか離在の境地には達せない。。。。
☆それはともかく、母マリアは、息子の世界のすべての罪を受け入れる道ゆきへの痛みをどのような気持で抱きかかえたのだろう。一家だんらんはサザエさんに象徴されるイエスが引き受けた罪を製造する社会を再生産する休息所であったとしたらどうなのだろう。聖家族とは全く違うものかもしれない。。。。
☆多層多様な子どもの問題を家族のせいにされても、筋違いのよな気がするが。。。噴出する大きな原因の抑圧はどこからやってくるのだろうか。
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