一日一言 新渡戸稲造【024】
一日一言 新渡戸稲造【023】のつづき。
☆12月25日 天に栄光 地に平和
天に栄光、地に平和とは、耶蘇降誕の節天使の唱へる賛美の歌とやら。・・・・・・栄光、平和は我を通らで流るる道なし。ただ我未だ我を知らず。嗚呼。
☆天に栄光、地に平和を賛美することはできる。祈ることはできる。しかし、その実現方法を知らないと嘆いているのではない。
☆新渡戸稲造はクエーカー派のプロテスタント信者。ヘルメノイティークという聖書解釈学の話。要するに神の声を聞いたと勘違いしている世の権力者の錯誤をクリティカルにチェックするよという話だ。
☆天に栄光、地に平和をもたらすには、行動しなければならない。表現しなければならない。そのためには、行動原理や表現のルールの基準が必要だ。
☆その基準は、しかし、誰が決めるのか。神のみぞ知るなのだが、これが神の決めたことだと、権力の恣意的基準を正当化されるのは困る。
☆そこでクリティカルシンキング。我ついに我を知ったと思った瞬間、神の基準からは遠のいているよというのが新渡戸稲造の本位。
☆クリスマス。人知をはるかに超えた普遍的ルール基準に自らを同化させることができるかどうか思いを馳せる瞬間であるというのだろう。でもなかなかそんな時にはならない。クリスマス商戦が重要なのだ。それが世俗というもの。だから嗚呼と叫んでしまったのだろうか。。。
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