2010年中学入試動向~11月合判から[01]
☆森上教育研究所の「中学受験と私学中等教育12月号」によると、男子受験生の安全志向が強まっているということのようだ。
「四谷大塚入試情報センターによれば第1回から第3回合判を通じて偏差値60合判80%偏差値校志望者数は男子では前年比7~8%減少している。」
☆つまり安全志向ということ。
☆同誌には、第3回合判の志望者数前年対比のデータが掲載されているので、2月1日受験校のうち、気になる男子選択校の前年対比をみてみよう。
穎明館 165.2
攻玉社 113.0
芝 107.0
逗子開成 105.8
城北 104.1
麻布 102.8
巣鴨 99.6
開成 98.5
武蔵 98.0
早稲田 96.4
早稲田実業 94.8
成蹊 94.4
駒東 93.9
日大第二 92.4
桐光 87.9
世田谷学園 87.7
海城 85.6
国学院久我山 85.3
慶応普通部 83.7
桐朋 82.8
渋谷教育学園渋谷 81.1
東京農大第一 77.1
☆これをみると、来年開校する早大学院や中央大付属の参入による影響が大というわけでもなさそうだ。というのも第3回合判の2月1日の早大学院の志望者数は298人だし、中央大学附属 は118人。男子受験校全体に影響を与えるほどの志望者数ではない。
☆やはり、1つは経済の大減速の影響が大ということだろう。そして98年・99年の私学危機と違うことは、大学のフラット化が加わっているという点である。2003年以降の国立大学の独法化によって、実際には権威は崩れ、官尊民卑はあるものの実際には国立大学の強烈な使命は喪失している。それが市場の原理のメリットでありデメリット。
☆大学の組織が市場の原理の中で活性化されるほどのパワーがあるかというとそんなことはないからである。東大の教授が、東大の組織のために知恵を出してマネジメントに精を出すはずがない。
☆これによって、東大の大学としての本来の姿は活性化されるかもしれないが、一方で絶対東大でなければならない魅力は消失する。是が非でも東大でなければならない理由がなくなったとき、進学実績を選択基準にしていた受験市場の消費者は、その目を他に向けることになるだろう。
☆では、MARCHクラスの大学附属がよいかとなると、現状のMARCHクラスの大学で東大より魅力があるかといえば、それはないだろう。大学市場や大学受験市場の経済は停滞するのは明らかである。
☆すると、中高一貫校の選択者はどこに流れるのか?本来の教育を行っているところである。四谷大塚の合判は、エントリー校と非エントリー校に選別されていて、すべての私立中高一貫校の志望校登録が必ずしもできない。
☆しかし、四谷大塚も、さまざまな理由を考慮して、エントリー校の枠を広げているような気がする。そういうこともあって、進学と本来的教育の両方に力を入れている次のような学校に注目が集まっている動きも見える。同様に第3回合判の前年対比のデータを拾ってみよう。
桜美林(午後) 13900.0
鶴見大附属(難関) 2100.0
安田2 2100.0
武相(午後) 400.0
宝仙理数 285.7
聖学院 244.4
日大藤沢 200.0
かえつ有明(総合) 200.0
東京都市大 116.1
☆進学実績と本来の教育のバランスあるいは合力を前面にだしてきた麻布は、そういう意味ではこの歴史的変化に臨機応変に対応できる。世界の動きや混迷の状況と教育の密接な関係を説き、その中で教育はどうあるべきか見極めなくてはならないと主張する氷上校長のコンセプトは正解・正当だったのである。
☆一方開成も、そのことを充分に認識してはいるが、なにせ東大合格者の人数が多かっただけに、開成の生徒にとって東大の魅力劣化は、ここ数年打撃であろう。初代校長高橋是清は、近代国家日本の正しい道を歩むためにも、立派な人材を開成から東大に輩出しなければならないという理念があった。良し悪しは別にして、当時の東大にはそういう大きな魅力があったのだろう。しかし、今日はどうも様相が違う。大学はどこであれ、あるいは大学という進路を選ばなくても、タイトルリーダーではなく、ナチュラルなリーダーになればよいわけであるから、進路の幅はかなり拡大しているのだ・・・。
☆かといって、MARCHクラスに東大以上のなんらかの魅力があるだろうか。そういう意味では中学からMARCHに入学するメリットは本当はあまりないかもしれない。
☆じゃあ海外かといっても、それこそ学費が莫大だ。ではどうすればよいのか。リベラルアーツを豊かに展開し、どんな社会に遭遇してもサバイバルしていける人間関係構築能力と言語デザイン力と科学の目というサバイブ能力を育成する教育環境を有しているところを選択することだろう。
☆中等教育は大学への過程に過ぎないなんて言っている学校ではなく、いまここでの才能開発を真剣に考えている中高一貫校である。そういう学校は偏差値に関係なく存在する。
☆理想の私立学校は、本来の教育で選択され、入学者の偏差値は幅があってよいというのが望ましいのかもしれない。受験学力の偏差値はでこぼこしているが、1人ひとりの才能は比較できない程豊かである人材が集まっているというのでよいのではないか。そういう時代がやってきたのではないか。いや実は教育関連法規の改正で、そういうレールが敷かれているのだ。なぜか世の中はあまりそこに注目していないが・・・。
☆ただし、その法改正のあり方は、デメリットもある。才能エリートを育成してしまうことになりかねない危険性があるからだ。憲法9条改正問題と水面下で関係している可能性があって、嫌な感じがしないわけではない。ただ、両刃の刃だということだけで、ポジティブにとらえていきたいという気持ちの方が大きいが・・・。
☆そのためにも、桜美林が注目されていることは価値があるのではないか。桜美林自身そのことを自覚しているとよいのだが・・・。つまり、アルザスロレーヌで世界と人類の平和を孤高に祈っていたジャン・フレデリック・オベリンに倣いて生き抜く教育プログラムを創ることとヴォーリズの影響をどのようにとらえているのか明快にすることと創設当時共学校にしたすぐれたコンセプトと理論を現代化することをきちんとコミットメントしてくれるとありがたいのだが・・・。
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