« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月

受験市場から教育多層市場へ [05]

受験市場から教育多層市場へ [04]のつづき。

☆「教育と医学№679(2010年1月)」(慶應義塾大学出版会)の特集は「子どもの感受性を磨く」。丸野俊一教授(九州大学)は、感性についてこう定義している。

感性とは、“自然・モノ・人との関わりの中で磨かれ・拓かれる極めて創造的なもの”である。

☆感性、あるいは感受性は創造性とかかわっているようだ。東大の中田基昭名誉教授は、

感受性は、思考や認識といった、我々の能動的で知的な活動の次元で生じることではないため、意識して意図的に作り上げたり操作できるものではない・・・・・・感受性は、教育や養育の領域において、重要な関心事でありながらも、これまできちんとした研究がなされてこなかっただけでなく、その内実は非常に曖昧なままにとどまざるをえなかった。

続きを読む "受験市場から教育多層市場へ [05]"

|

受験市場から教育多層市場へ [04]

受験市場から教育多層市場へ [03]のつづき。

☆今月末、ある学校に招かて講演したレジュメから、世界や社会の動向をまとめた部分を参考までに掲載する。世界と学校のつながりを考えるヒントになれば幸い。

§0 はじめに 問題とは何か?

 【省略】

§1 世界の動向

1)世界の動向を表すキーワード グローバルからクリエイティブへ

① クリエイティブ資本主義
② クリエイティブシティ
③ クリエイティブクラス 人的資本からクリエイティブ資本へ
④ クリエイティブリーダーシップ
※参照>デイビッド・ルークとウィリアム R.トーバート
「リーダーシップの7類型 変革リーダーへの進化」
(DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2005年9月号所収)
⑤ クリエイティブスクール(クオリティスコアでポジショニングを想定する)
⑥ クリエイティブコミュニケーション 
⑦ 創造力の時代 ≪ミクロとマクロ≫・≪自己と世界≫をつなぐ基準をクリエイト
⑧ 近代の革命→世界大戦→文明の衝突→友愛革命→NEXT
・カント、アダム・スミスの脱構築の時代 2003年2月15日「ハーバーマス論文」
・EU初代大統領の選出・EUのアイデンティティ形成・太平洋国家
(アメリカ合衆国→ヨーロッパ合衆国→アジア合衆国(太平洋国家)→…世界合衆国)

2) 時代と学校 麻布氷上校長の論考
  
①教育学の時代認識断絶問題
②時代と学校を結び付ける意義
③能力と才能の断絶(学校教育法の改正問題) 

続きを読む "受験市場から教育多層市場へ [04]"

|

受験市場から教育多層市場へ [03]

受験市場から教育多層市場へ [02]のつづき。

☆「クリエイティブ」な行為が、地球市民1人ひとりの才能を経済にトランスフォームさせられる時代が21世紀なのだが、この動きは何も21世紀になってやっと動き出したわけではない。枚挙にいとまがないほどたくさんの動きが89年ベルリンの壁が崩壊する前後で生まれている。

☆その中でも印象的なのは、1984年の「風の谷のナウシカ」の上映だ。今でも宮崎駿さんの作品は人気が高いし、フランスをはじめ欧米でも鑑賞されているぐらいだ。つまり、この「クリエイティブ」な行為は地球市民になんらかの影響を与えるものがある。

☆それからこの年、マッキントッシュが発売。ここからPCの流れが大きくなる。

☆それからこの時代は現代思想の席巻した時期である。言語モデルが華やかに開花していた。

☆臨教審が設けられたのも84年だ。

☆しかし、同時にあのカルト集団が結成されたのも同じ年である。

続きを読む "受験市場から教育多層市場へ [03]"

|

受験市場から教育多層市場へ [02]

受験市場から教育多層市場へ [01]のつづき。

☆講演会や研修などで、一貫して、21世紀は「クリエイティブ」な時代と言い続けてきた。これからも変わらないだろう。「クリエイティブ」な行為というのは、すべての人が持っているそれぞれの才能の表出であるが、それが抑えられてきたのが近代の矛盾の1つである。

☆というよりも近代化が実のところ完成していない1つの証しなのかもしれない。ポスト近代なんて言い方があるから、あたかも自由・平等・友愛の近代の理念や民主主義ができあがっているように錯覚するが、ポストモダニズムも近代化の成長の過渡期なのかもしれない。

☆そういう意味で、すべての人々が「クリエイティブ」な行為で生活をしていける時代がやってきたという意味で画期的なのである。

続きを読む "受験市場から教育多層市場へ [02]"

|

一日一言 新渡戸稲造【030】

一日一言 新渡戸稲造【029】のつづき。

☆12月31日 悔いることは改めることのはじめ

いよいよ今年も終わろうとしているが、過ぎ去ったこの一年に何をすることができたかと静かに振り返ってみると、昨年と同じく、やはり後悔すべきことが多いのではないか。しかし、悔いることは改めることのはじめなので、来年暮れには、まさか同じ後悔をすることはないであろう。だから、新しい年を迎えるにあたっては、新たな勇気と決心を持たければならない。

☆国際連盟の事務次長を務めた新渡戸稲造の後悔であればこそ、捲土重来で勇気と決心をもてるもの。一般人の後悔と比較すると・・・。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【030】"

|

一日一言 新渡戸稲造【029】

一日一言 新渡戸稲造【028】のつづき。

☆12月30日 恥かどうかを顧みる

今年、自分が関わった出来事を振り返ってみると、・・・・・・・すべて正々堂々とやったかと問われれば、これまた恥じることがあるであろう。

☆たしかに・・・。理想と現実の違いを知るセンサーとして「恥じる」という気持ちはポイントである。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【029】"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[了]

2010年中学入試動向~11月合判から[06]のつづき。

☆今回は、2月3日受験校のうち、志望者数100人以上の女子選択校をみてみよう。2月2日に豊島岡女子を志望していた723人が半減している。2月2日慶應湘南藤沢を志望している受験生が慶應中等部を受験したとしても、それですべては埋まらないから、当然2月2日豊島岡女子志望者の中に慶應中等部志望者はいるだろう。

☆しかし、それだと慶應中等部の志望者はもっと多くならなくてはならない。ということは2月3日は少し拡散したということか・・・。拡散したとしたらそれはよいことではないか。女子私学市場において偏在は望ましくない。多様性こそが重要。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[了]"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[06]

2010年中学入試動向~11月合判から[05]のつづき。

☆今回は、2月2日受験校のうち、志望者数100人以上の女子選択校をみてみよう。それにしても豊島岡女子は、断トツ人気である。2月1日のいわゆる女子御三家を受験する女子総数の50%に相当する。実際併願も多い。

☆これでよいのかどうか疑問もあるが、これを解消するには、豊島岡女子を教育の質で圧倒する女子校の出現が望まれる。

☆この御三家→豊島岡女子の流れが変わらない限り、女子教育のエンパワーメントが爆発しない。男性中心社会のサポート・維持から解放されるには、女性のリーダーシップが必要。女性の首相が誕生するとか、女性のノーベル賞受賞者が生まれるとか、経済社会トップリーダーが女性とか・・・。

☆ヨーロッパ型の社会とはそういうことだと思うが・・・。私学の系譜を推し進めていくとそうなるのでは・・・。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[06]"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[05]

2010年中学入試動向~11月合判から[04]のつづき。

☆今回は、森上教育研究所の「中学受験と私学中等教育12月号」に掲載されている四谷大塚第3回合判の志望者数データから、2月1日受験校のうち、志望者数100人以上の女子選択校をみてみよう。昨年サンデーショックで、今年大幅に入試日変更があったため、前年対比があまり意味をなさないからである。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[05]"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[04]

2010年中学入試動向~11月合判から[03]のつづき。

☆今回は2月4日受験校のうち、気になる男子選択校の前年対比をみてみよう。中央大附属2は新設のため、前年対比は出ないが、志望者数は371人であるから、まずまずというところだろう。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[04]"

|

一日一言 新渡戸稲造【028】

一日一言 新渡戸稲造【027】のつづき。

☆12月29日 人に仕える

西暦1809年の今日、グラッドストン(イギリスの政治家)が生まれた。彼はまことをもって神と人と国に身をささげた人であり、上手に人に使われる者は、また上手に人を使うものである。・・・・・・

☆同趣旨の文が聖書にもある。湘南白百合の水原校長が、あらゆるシーンで教師にこの精神を諭されていたのを思い出す。

☆しかも、この精神は、コミュニケーションにすぐに表れる。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【028】"

|

一日一言 新渡戸稲造【027】

一日一言 新渡戸稲造【026】のつづき。

☆12月28日 意志が人を変える

・・・・・・自分にまごころがある者は欠点をあらためるように努力するものである。

☆道徳的メッセージではある。しかし、認知的ポイントがちゃんとある。1つはまごこころとは?もう1つはあらためるということは?という点である。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【027】"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[03]

2010年中学入試動向~11月合判から[02]のつづき。

☆今回は2月3日受験校のうち、気になる男子選択校の前年対比をみてみよう。ただし、3日校の選択志向性となると、以下の点が複合的に関係しているので、読みにくい。

①併願校ではあるが、3日に初めての入試日を設定している学校は、第一志望の生徒も多いだろう。

②3日目には実施倍率は名目倍率よりかなり下がるので、併願人気校としての傾向のほうが、学校の教育の質よりも優先している可能性がある。

③隔年現象はもちろんある。

④長引く不況と今後の不透明感の影響は無視できない。

⑤併願回数自体が減少している可能性がある。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[03]"

|

一日一言 新渡戸稲造【026】

一日一言 新渡戸稲造【025】のつづき。

☆12月27日 貧乏に勝つ工夫

貧困になると、苦しまぎれの悪知恵が働いて、人をだまし、おどかし、いくつもの悪い策略を考えるものである。このときこそ貧しさに負けぬ工夫をすべきだ。

☆個々の問題ではなく、社会の問題に置き換えてみると、名言である。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【026】"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[02]

2010年中学入試動向~11月合判から[01]のつづき。

☆今回は、森上教育研究所の「中学受験と私学中等教育12月号」に掲載されている四谷大塚第3回合判の志望者数前年対比のデータから、2月2日受験校のうち、気になる男子選択校の前年対比をみてみよう。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[02]"

|

一日一言 新渡戸稲造【025】

一日一言 新渡戸稲造【024】のつづき。

☆12月26日 「くせ」にのまれるな

手足の動きや物の言い方に人それぞれのくせがあるように、考え方にもくせがあって、良くないことと知りながらも、同じことをたびたび考えていると、自分の頭の中にそのくせが出て、思いわずらうことになる。・・・・・・・・

☆問題は、自分の考え方のくせに気づけるかどうか。メタ認知やメタ認知カウンセリングが必要なのである。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【025】"

|

2010年中学入試動向~11月合判から[01]

☆森上教育研究所の「中学受験と私学中等教育12月号」によると、男子受験生の安全志向が強まっているということのようだ。

「四谷大塚入試情報センターによれば第1回から第3回合判を通じて偏差値60合判80%偏差値校志望者数は男子では前年比7~8%減少している。」

☆つまり安全志向ということ。

☆同誌には、第3回合判の志望者数前年対比のデータが掲載されているので、2月1日受験校のうち、気になる男子選択校の前年対比をみてみよう。

続きを読む "2010年中学入試動向~11月合判から[01]"

|

受験市場から教育多層市場へ [01]

☆昨年のリーマンショック以来、これほど市場の意義が問い返されたことはないかもしれない。それまでは、理念や価値など相対的で、お金と商品が見えざる手で最適な交換が行われる。

☆あるいは、勝ち組と負け組がはっきりするけれど、その固定化はない。つねにオセロのように黒になったり白になったり。もしずっと負け組だったとしたら、それは自己責任だよというイメージだったのではないだろうか。

☆しかし、どうもそんな見えざる手はなかなか働かない阻害要因があるし、それが権威や権力をもち、自己責任すら稼働できない操作が行われているのではないかということに市民が気付き始めた時代が明快にやってきたのではないか。

☆政権交代はその兆しであってほしいが、どうもそうでもないというのが日本の識者の考え方らしいが、それも本当のところは怪しい。

続きを読む "受験市場から教育多層市場へ [01]"

|

一日一言 新渡戸稲造【024】

一日一言 新渡戸稲造【023】のつづき。

☆12月25日 天に栄光 地に平和

天に栄光、地に平和とは、耶蘇降誕の節天使の唱へる賛美の歌とやら。・・・・・・栄光、平和は我を通らで流るる道なし。ただ我未だ我を知らず。嗚呼。

☆天に栄光、地に平和を賛美することはできる。祈ることはできる。しかし、その実現方法を知らないと嘆いているのではない。

☆新渡戸稲造はクエーカー派のプロテスタント信者。ヘルメノイティークという聖書解釈学の話。要するに神の声を聞いたと勘違いしている世の権力者の錯誤をクリティカルにチェックするよという話だ。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【024】"

|

留学生のいる学校~武蔵野女子学院

☆武蔵野女子学院の国際理解教育室が発行しているNewsletterは90号を超えている。11月27日発行の90号では、同学院が受け入れている留学生が、自分の国の食文化を伝えるために食事のレシピを掲載している。

☆ハンガリー、フィンランド、アイスランドからの留学生の記事が載っていたが、たしかに食文化の話題は異文化交流の基礎基本。そしてコミュニケーションの基本。まずはそんな身近な話からはじまる。

☆コミュニケーションがうまいかそうでないかは、このようなチャット風の中に大事な問題をそっと包んでおけるかどうか。その包みを開くのは、相手。うまく開けるようにサポートするのがコツだろう。

続きを読む "留学生のいる学校~武蔵野女子学院"

|

さらに飛躍する学校

☆先日23日、神奈川エリアのある私立学校を訪れた。草創期をものすごいスピードで通過し、はやくも成熟期に到達している学校であるため、停滞におちいらないようにリスクマネジメントの手腕を発揮している。

☆そういう見識のある経営陣の層が厚いし、創設者の教育バックボーンを深いところで感じ取りながら脱構築しようという知恵が稼働しているのもおもしろい。

☆しかし、なんといっても成熟期の次は、油断していると衰退期→死滅期に進むのは簡単だ。そうならにように内生的成長の仕掛けを工夫しているのが伝わってきた。

☆学校の内生的成長は、一部のメンバーだけががんばっていても、実は難しい。学内の教職員全員が成長の渦に巻き込まれていかねばならないし、その渦をつくるコラボレーションをしなければならない。

続きを読む "さらに飛躍する学校"

|

一日一言 新渡戸稲造【023】

一日一言 新渡戸稲造【022】のつづき。

☆12月24日 一家だんらんの祝福

この世の中でさまざまな楽しみがあるが、中でも、親子がそろってくつろぎ、むつまじくしていることにまさるものはない。お互い遠慮しない間でも、尊敬の念を持ち、つらきことも、たのしいことも、共にあじあう親子夫婦のあいだがらは、・・・・・・・

☆しかし、これは新渡戸稲造としてはめずらしく何かが足りない・・・。クリスマスイブだから、聖家族をロールモデルにしというところなのだろうか・・・。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【023】"

|

一日一言 新渡戸稲造【022】

一日一言 新渡戸稲造【021】のつづき。

☆12月23日 論理以上の真理

人の魂は、尽きるのか尽きないのかをいくら議論しても、論じつくせるものではない。・・・・・・人は死ねば土のかたまりにすぎないのかと自分の心に問えば、論理以外の答えがかえってくるであろう。

☆論理的思考力の限界が語られている。その限界は定義や論理的仮説から出発しているのに、いつの間にか、その定義や仮説が完全な領域だと思い込んでしまっているところにある。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【022】"

|

一日一言 新渡戸稲造【021】

一日一言 新渡戸稲造【020】のつづき。

☆12月22日 さいはひ(福)なる者

あはれみある者はさいはひなり、其の人はあはれみを得べければなり。心の清き者はさいはひなり、其の人は神を見ることを得べければなり。やはらぎを求むる者はさいはひなり、其の人は神の子と称へらる可ければなり。ただしき事のために責められるる者はさいはひなり、天国は即ち其の人のものなればなり。

☆聖書からの言葉を引用したのだろうが、聖書というのは結局壁にぶつかったときにどうするかが記されているということだろう。

☆神の子とか天国とかでてくるから宗教の言葉だからで終わるかもしれないが、欧米ではこの言葉を幼きころから耳にしているのだ。どんな影響があるのだろうか。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【021】"

|

スペシャルドラマ「坂の上の雲」の主登場人物は開成出身者

☆昨夜(20日)、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最後の場面を見ていたら、秋山真幸(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)が登場。

☆あれっと思い、公式サイトをみると、やはり高橋是清(西田敏行)も登場するらしい。

☆秋山と子規は同郷松山出身で、現在の開成学園が共立学校だった時代の同級生。高橋是清は校長で、教え子でもあっただろう。

☆高橋是清は明治11年から明治23年まで校長を務めている。秋山真幸と正岡子規は明治17年に卒業しているのだから。

☆バルチック艦隊撃破、夏目漱石の友人で俳人、かつベースボールの導入、金融恐慌をモラトリアムで救済、二・二六事件など、それぞれ歴史の教科書にでてくる3人だが、開成学園で出会っているというのは、知る人ぞ知るという感じか。もちろん、Wikipediaにはばっちり書き込まれているが・・・。

☆「坂の上の雲」で登場するかどうかわからないが、南方熊楠も秋山と子規の同級生である。

|

私立学校の奥行き~2009年を振り返って

☆パリのジャコバン通り、トゥルーズのジャコバン修道院(ここはまだ行ったことがないが)、コルマールのウンターリンデン美術館、ミラノの近くのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のダヴィンチの最後の晩餐、ラス・カサスのインディアスの破壊についての報告、太陽の都のトマーゾ・カンパネッラ、そうそうアルザスといえばエックハルト・・・。

☆フランス革命の話をしていたときに、ジャコバン派はカトリックの修道院の名前からきているんですよとあるカトリック学校の理事長の話。そして、上記のような話にとんだ。すべてそのカトリック学校ゆかりの話題だ。

☆このカトリック学校は幼稚園から高校までの一貫教育を実施している。4年前に50周年を迎えたあたりから、急激に学内の知的精神的一体感が充実してきた。記憶というテーマや思考というテーマ、思いやりというテーマで、幼稚園から高校までのステップがある。それを学内で議論してロゴス化していっている。

☆その過程で、生徒たちの知的精神的体力的活躍が目覚ましく飛躍している。それにしてもこのカトリック学校の精神的基盤である聖人は、対話の人であり、合意形成の達人であり、信仰と真理の巨人。かの聖人に倣って生きようという教師が出現している。そんな話をクリスマスを迎える準備の中で集まった、幼稚園の園長、小学校の校長、中高の校長、事務長、理事長の会合で伺うことができた。私立学校の奥行きの一例である。

続きを読む "私立学校の奥行き~2009年を振り返って"

|

一日一言 新渡戸稲造【020】

一日一言 新渡戸稲造【019】のつづき。

☆12月21日 記憶の力

心に残ることも、その人の意志によって、おさめることができる。・・・・・・耳や目にけがらわしい言動などは、みなさっぱりと忘れたいもの。永久にとどめておきたいものは、人から受けた恩や見聞した人の徳である。

☆記憶というと基本的な知識を覚えることを意味するとイメージしがちである。しかし、新ブルーム派によると、知識の次元というのは4段階ある。気づきや自分を知るという意味での知識の段階は、第4番目のステージ。メタ認知としての知識の段階である。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【020】"

|

一日一言 新渡戸稲造【019】

一日一言 新渡戸稲造【018】のつづき。

☆12月20日 感情は天気のようなもの

自分の気分で他人に対する感情が変わる人は別として、だれでも気分の良いときと悪いときがある。・・・・・・天気のようなものと思い流せば、それもお互いのためになるものだ。

☆新渡戸稲造の時代とはかなり気候の状況も変化し、感情の移り変わりは天気のようなもので流せない時代になってしまった。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【019】"

|

一日一言 新渡戸稲造【018】

一日一言 新渡戸稲造【017】のつづき。

☆12月19日 心の中のまこと

相手をうまくだました、自分の思うようにさせた、と悪知恵のはたらくことを自慢している者は多いが、知識や才能だけでは、この世の中を治めることはできない。才能はこ使いの手先で、主人はやはり心のまことである。

☆表現が時代を感じさせるし、このまま受けとめるとどこか説教されているように感じる。しかし、これは基準づくりの話に置き換えるとよい。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【018】"

|

白梅学園清修の教育の挑戦

昨日18日、白梅学園清修中学校は「思春期の子育て講演会」を開催した。講演者は、白梅学園大学・短期大学学長汐見稔幸教授。

Pc180739 ☆汐見教授は東大の教育学部で長い間研究している一方で、東京大学教育学部附属中等教育学校校長も務めていた。そしてご自身の子育ての中で息子をある新設(当時)私立中高一貫校に通わせていた経験ももつ。

☆講演会場は、大学の講義室で行われたが、80名を超える保護者が席を埋めた。身体の成長と心の成長のバランスがとれなくなり不安が訪れるのは、最近では年齢が低下していると言われている。また受験勉強によって知的な思考力が、自我の目覚めを引き起こし、自分なりにルールを主張し始める時期も早まっている。

☆思春期とは子どもが大人に成長する時期に不安と葛藤を生む時期で当たり前のプロセスだと汐見先生。しかし、マスコミや教育産業が、そこを煽りすぎるきらいも確かにある。だからそこを見抜いて、どのように子どもとコミュニケーションをとって、子どもの成長をサポートしていけばよいのか。そのヒントについて、2時間を過ぎる講演が行われた。

続きを読む "白梅学園清修の教育の挑戦"

|

一日一言 新渡戸稲造【017】

一日一言 新渡戸稲造【016】のつづき。

☆12月18日 心の内が自分

外に出てみると、最新流行の晴れやかな衣装をつけた紳士や淑女が行き交うのに逢う。そこで、自分の格好は鏡に映して恥ずかしいと思ったら、少し反省してみるがよい。・・・・・・・ただ心のうちだけが自分であることを。

☆道徳問題は、結局経済問題でもある。ここでアダム・スミスの道徳感情論と結びつく。すべての判断は、他者との間で切磋琢磨した内なる公平な観察者によってなされる。中庸ということだが、これが市場の原理の見えざる手の作用への信頼である。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【017】"

|

宮台真司氏の民主化パラダイムと私立学校

☆「民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)」宮台 真司・福山 哲郎対談は、明治以来の私立学校の教育における位置づけをなぞることができる。

☆私立学校のことを直接語っているところはないが、政治経済のパラダイム・シフトの話は、政治経済を支える教育政策に密接にかかわっているから、教育のパラダイム・シフトの話とほぼ置き換えられるのだ。

☆宮台氏は、日本は明治以来民主主義を実現していなかったが、民主党の政権交代が、それを果たすのではないかと考えているようだ。そのパラダイムシフトを四象限図式で表現している。

Photo ☆「権威主義(国家主義)―参加主義(市民主義)」、「談合主義(コーポラティズム)―市場主義」という2軸で表現している。図は、同書で図式されているものとは軸の取り方が違っている。

続きを読む "宮台真司氏の民主化パラダイムと私立学校"

|

一日一言 新渡戸稲造【016】

一日一言 新渡戸稲造【015】のつづき。

☆12月17日 心にある神

かしこい人間は、その考え方を自分の内にひそめ、人に知られることを慎み、ただ天地の神々と交わる。その人柄は心が高明で執着がなく、快活である。これは熊沢蕃山の教えである。

☆この「かしこい人間」のことを、私は「私学人」と呼んでいるわけだ。私学へ通うことは、この天地の神々と交わるというコミュニケーションシステムの高みに登るということである。

☆そしてその人格は、「心が高明で執着がなく、快活」。ノブレス・オブリージュということだろう。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【016】"

|

一日一言 新渡戸稲造【015】

一日一言 新渡戸稲造【014】のつづき。

☆12月16日 縁の絆

・・・・・・人間が出会ったり離れたりすることも偶然ではない。同じ電車に乗るのも、同じ水道の水をのむという縁も浅いものではない。同じ街に住む人は、・・・・・・

☆我と汝の関係の重要性。しかし、その関係があらゆる人と人との縁にまで及ぶとは。たいていは、マルティン・ブーバーではないけれど「われとそれ」の関係・・・。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【015】"

|

一日一言 新渡戸稲造【014】

一日一言 新渡戸稲造【013】のつづき。

☆12月15日 人の心根

・・・・・・人間も地位や財産、学の有無で自分を飾っていても、品格がともなわなければ、学問も地位もいやしいものになるだけで、その人の性格はどのようにかくそうとしてもどこかに表れるものである。

☆日本の伝統的な発想のように思われるが、おそらく普遍的な生き様感だろう。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【014】"

|

良い教育をすれば生徒は集まるか

☆このところ私立学校の先生方と対話しながら、アハ体験したことがある。それは「良い教育をすれば生徒は集まるか」というテーマについて議論をしていたときだった。

☆一般には、どんなに良い教育をしてもそれをきちんと発信しなければ生徒はなかなか集まらないと言われているし、私もそうだと久しく思ってきた。

☆そんなとき、「それだと本間さん、発信の仕方次第で悪い教育でも生徒は集まるということですか」と問われた。「まあ悪法も法ですからね」と。「そんなことないでしょう。本間さんって、そう言うけど自然法論者でしょう。まあ、J.デューイ的なヘーゲルなまりのプラグマティストって感じもするけれど、ものすごく古い時代に位置していますよね。現代思想のジャーゴン使うから、わけわかんないと言われるでしょけど。アリストテレスですよね」と。「いやそこまではわからないし、結局真剣にそこらへん著作を読んでいるわけではないから、自分でもわかりませんが。ただ、教育言説以外の言葉を使った方が何かが浮き出てくるかなと・・・。」

☆「でも、ハーバーマスとかルーマンとか使いないがら、そうでないとアリストテレスまでいかなくても中世ぐらいまでは遡るでしょう」と、最近再び学問的な話題を仕掛けてくるけれど極めて実用的な広報の先生方と出会うようになった。

続きを読む "良い教育をすれば生徒は集まるか"

|

伸びる学校・停滞する学校あるいは失速する学校

☆98年・99年の私学危機のときに、そこから脱するために授業の質にこだわり同時に広報する私立学校の広報担当の先生方が誕生した。

☆今から10年前は、経営陣をささえる事務局ではなく、先生方が前面に出て広報出動したところがいちはやく生徒獲得戦略において成功を収めた。

☆しかし、成功できなかったところもあった。事務局と教師の間で組織では常にある葛藤がおき、力で広報の先生方が抑圧された場合脱することができなかった。

☆また教師間でも葛藤があった。同僚が広報の先生方の応援をするどころか足を引っ張ったり、無視をしたり、中傷したり、考えられないようないじめも起きたが、そういう場合脱することはできなかった。

続きを読む "伸びる学校・停滞する学校あるいは失速する学校"

|

一日一言 新渡戸稲造【013】

一日一言 新渡戸稲造【012】のつづき。

☆12月14日 正義と法

元禄15年(1702年)の今日、赤穂浪士が亡き君主の仇をうった。忠義と法律はかならずしも合致せず、昔は法を破ってでも忠義を実行し、死をもって法のうめあわせをした義士もいたのだ。今は正しい道を曲げてでも法を優先させ、法律のかげでのうのうと生きているものが多いが、法は正しい道に従い、正義は法律を正すべきである。・・・・・・

☆悪法も法なのだ。悪法かどうかは、正義に照らし合わせてということか。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【013】"

|

一日一言 新渡戸稲造【012】

一日一言 新渡戸稲造【011】のつづき。

☆12月13日 好機はいつでも目の前に

好機がくるのを黙って待っているのはむだなことだ。人を助けるとき、人のために良いことを行うとき、悪事をさけるとき、物事を始めるときなど、その好機はいつでも目の前にある。・・・・・・

☆結局すべての問題は自分の問題である。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【012】"

|

受験市場変容の中の中学受験市場の優位

☆長引く不況の影響で、受験市場全般が低迷するようにみえる。みえるというよりもその通りなのだが、実際には長引く不況というお金の影響というより、なぜ不況になったのかという社会構造の閉塞状況が根っこで影響していると読んだ方がよいかもしれない。

☆お金の問題は確かに重要である。しかし、不況になった原因は、哲学放棄の市場とその商品を支える哲学なしの技術開発の社会構造というか産業構造が立ち行かなくなったということが、受験市場の低迷を生んでいるのだろう。

☆当たり前と言えば当たり前だが、金さえあればという考えが政府にも蔓延しているわけだから、どれだけこの構造転換をとらえているのかわからない。

☆今までは、クリエイティブな才能なるものは、大学で学ぶから、知識や基礎的な道筋を思考するという意味で論理的思考を中等教育でしっかりやって欲しいというのが一般的な志向性だった。

続きを読む "受験市場変容の中の中学受験市場の優位"

|

私学市場の意義[13]

私学市場の意義[12]のつづき。

☆昨日(20091211)、中村学園で私学人の集い「The授業リンク」の勉強会があった。この会の思いについては、メンバーであり私の敬愛する松田孝志先生(明大付属明治中学校高等学校)がこう書いている。

あえて、生意気にも僕が[The授業リンク]の高邁な特徴を3つ挙げるとするならば、次のことになる。

I.私学には各校にスクール=アイデンティティ・文化がある。その具体化させたものの1つが授業そのもの、その授業の根底に流れる哲学、その違いを前提にしていること。

II.経験の長短深浅はあるにしても「単に教えてください」ではなく、みな打席に立つバッターで、それぞれ手弁当(木戸銭、分かち合うものを持って)で参加していること。

III.ワークショップであろうと、懇談という形態であろうと提供者(まな板の上の鯉ではなく鯛)になった人の実践からお土産として何かをつかもうとしていること。

 事業仕分けで、たとえ国家予算の15%であろうと国民の目の前にさらされ、議論されたことは良いことであると考える。しかしそこからが問題である。コストと投資、目先のことと後世に責任を負うヴィジョン、優先順位をどのようにしていくかである。生まれも育ちも能力も環境も状況も異なるものがちゃんと考え、議論する、そのことが大切だと思うのである。学校のことも、授業も生活指導も次元は違うが同様であると僕は考えている。理屈と実感、技から科学的スキル、躾けることと育てること。教員でなく教師として問われていることが目の前にある。弾き出されそうだとか、誹謗中傷に意気消沈気味だとか、無力感・焦燥感に打ちひしがれているなどということがあろうと、やはり自分は教師を選び続けてきた誇りを捨てまいと考えている。

          「僕にとっての[The授業リンク] ―Pay Forward―」 

続きを読む "私学市場の意義[13]"

|

一日一言 新渡戸稲造【011】

一日一言 新渡戸稲造【010】のつづき。

☆12月12日 知るのは行いのため

道徳を説く者はいるが、これを理解している者は少ない。人の道を知る者はあっても、これを実行する人はめずらしい。説教はできなくても、これを知ることは、説くことよりもまさっている。・・・・・・知って実行しないのは、知らないのと同じである。これは沢庵和尚に学んだことである。

☆沢庵和尚という衣の内側には、水戸学があるということか。知行合一は、水戸学に流れ込んだ陽明学の基本思想だったような・・・。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【011】"

|

私学市場の意義[12]

私学市場の意義[11]のつづき。

☆東京私学教育研究所「所報74号」には、平田オリザさんの講演録が収録されている。演題は「国語科解体」。なんて刺激的な主題なのだろう。

☆とはいえ、現状の国語科の学習指導要領や授業を直接批判的に検討しているわけではない。

☆平田さんは、劇作家で演出家、そして大阪大学のコミュニケーションデザイン・センター教授。その立場から、ことばの府である国語科を代表して、日本の教育全体がことばを学ぶ新しい方法があるよと提案しているのである。

☆この視点は、実のところ東京私学教育研究所自身が久しい間、基礎学力研究をし続けてきていて「ことば力」の新たな展開を提案し続けていることとシンクロしている。それゆえ、本研究所の主催する「文系教科研究会」に招かれたのだろう。

続きを読む "私学市場の意義[12]"

|

立教女学院からの贈り物 世界の子どもたちに

Pc110699 ☆クリスマス季節が訪れているが、立教女学院のキャンパスは、主と共に平和の実りを祈るシンボライズで満ちている。11月の終わりくらいからうっすらと霜が一面降りているのだろうか。ともあれ、中庭のモミの木に光が灯され、立教女学院の精神が色鮮やかに輝くアドヴェント(降臨節)の季節が到来している時だろう。

☆学院中で、イエス・キリストの誕生を待ち望み、クリスマスの歌の練習の響きがキャンパスに広がってもいるだろう。

☆立教女学院は米国聖公会の流れをくむプロテスタントの精神に基づいて教育を行っている。ちょうどオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞している時でもある。イエス・キリストの誕生を待ち望むことは、世界の子どもたちに平和が訪れれように祈ることでもある。

続きを読む "立教女学院からの贈り物 世界の子どもたちに"

|

一日一言 新渡戸稲造【010】

一日一言 新渡戸稲造【009】のつづき。

☆12月11日 衆生本来仏なり

・・・・・・白隠和尚のつづった和讃の中にこうある。

衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。譬へば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷ふに異ならず。

☆なんてヘーゲル的なのだろう。理念的なものは現実的なもの、現実的なものは理念的なもの・・・。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【010】"

|

伸びる学校[064] かえつ有明の成長つづく<04>

伸びる学校[062] かえつ有明の成長つづく<03>のつづき。

☆かえつ有明の興味深いサイエンス科プログラムは進化し続けている。そのため、ときどきサイエンス科にかかわっている先生方にインタビューの機会をもらい、その進化を追跡している。

☆今春からサイエンス科は、国語と科学の融合の時代からジャンプして、あらゆる教科及びイベントを結び付ける(あるいはエスコートする)思考方法としてクリティカルシンキング(以降CT)をメインアイデアとした。

☆今日では日本でも、CTは、企業などでは当たり前とされているが、日本の学校教育ではまだまだ導入は遅れている。文科省も新学習指導要領デザインの舞台裏では、CT導入に積極的だ。

☆しかしながら、サイエンス科の主任山田英雄先生は、日本の文化的な特徴として、CTの捉え方がガラパゴス的だと語る。

続きを読む "伸びる学校[064] かえつ有明の成長つづく<04>"

|

一日一言 新渡戸稲造【009】

一日一言 新渡戸稲造【008】のつづき。

☆12月10日 無価の宝

・・・・・・このうえなく貴いものは、争わずに手に入れるものである。太陽の光も月の光も花の美しさ、子供の笑顔、親の心、友だちのまこと、神のめぐみ、仏の加護はいたるところにあふれている。金を払って手にするものは、みな価値に限りがあるものばかりで、金で買えない、価値に限りのない、大きな宝を求めるべきである。

☆この長期不況の時期に、この言葉は現実感がないかもしれないが、実に美しい言葉だし、≪私学の系譜≫のスタンドポイントである。

☆環境問題対策は、国際政治経済の立場で語られているが、本来はこの立場から考えていく問題なのかもしれない。理念とはたんなるスローガンではなく、解決のための基準、選択判断の基準である。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【009】"

|

私学市場の意義[11]

私学市場の意義[10]のつづき。

☆東京エリアの私立中高一貫校の集結は世界でも類のないシステムであると前回述べた。しかし、同時に来春の中学受験からは、この長引く世界同時不況の影響をもろに受けることは避けられない。

☆どのようにこの影響を回避したり克服できるのか。教育の質をあげることであるというわけだが、経済力的には実に小規模で、その質の向上のプロセスを表現することは、大企業のようなわけにいかない。どうしても口コミだよりである。

☆口コミレベルだと、結局はいくつかの私立学校の話題が注目されるだけで、東京エリアの私立中高一貫校全体の評価があがるには時間がかかるというか、そういう目を消費者が持つことはほぼ不可能だ。

続きを読む "私学市場の意義[11]"

|

私学市場の意義[10]

私学市場の意義[09]のつづき。

☆「所報」という東京私学教育研究所が毎年編集発行している紀要がある。今年の春74号が発刊されている。

☆「所報」を読んでいくと、私学人がどのようなビジョンを見据え、今・ここでの教育問題や社会問題を解決しようと取り組んでいるか、生徒達に何を期待しどのよに教育を実践しているかが見えてくる。

☆私立学校は教育と経営の両輪を戦略的かつ革新的に運営している。経営がからむわけであるから、そこには市場が広がる。しかし、その市場は単純ではない。受験市場というフェーズと教育市場というフェーズ、そして私学独自の私学市場のフェーズが混在していて、複合的である。

続きを読む "私学市場の意義[10]"

|

一日一言 新渡戸稲造【008】

一日一言 新渡戸稲造【007】のつづき。

☆12月9日 善意に解釈する

人の行動はなるべく好意をもって理解すべきで、証拠もないのにどうして疑うことができようか。人の行動をあやまって見るのは、その人に対して不親切であるばかりか、自分に対しても忠義に反することになる。・・・・・・

☆新渡戸稲造の寛容な心のなせるわざ。普通はこうはいかないだろう。せいぜい客観的にみようということではないか。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【008】"

|

私学市場の意義[09]

私学市場の意義[08]のつづき。

☆ある私立学校の学校関係者評価委員会のミーティングに参加する機会を得た。教育基本法が改正されて以来、学習指導要領も大きく変わっているが、学校評価についても、文科省主導で、次々と進んでいる。

☆学校自身による自己評価はすでに行われているし、いよいよ学校関係者、要するにステークホルダーによる評価が行われる準備が進んでいる。その次は第三者評価機関と進むのだろうか。

☆公立学校などですでに公開しているところがあるので、ホームページなどを閲覧すると、なんと作業的評価の多いことかと驚いてしまうが、まあできるところから始めようということなのだろう。

☆私立学校の場合、入試という受験市場による評価がすでになされているので、今さらなぜ学校関係者評価なのかと、大きな疑問も残るが、入試は決して受験市場だけではなく私学市場という次元も混在しているので、この私学市場の中における質の評価を向上しようという意味で、学校関係者評価を活用しようという私立学校もある。

続きを読む "私学市場の意義[09]"

|

私学市場の意義[08]

☆ある教育企業のスタッフから教員研修の一部を頼まれ、打合せをしているときに、「本間さんが、大学進学実績向上に取り組むのは私学として当然だというのには、驚きました」と言われた。

☆そのスタッフの方は、決して仕事上は前面に出さないが、内には実存主義的価値観を秘めている人材で、ある意味教養を前提に企画を立てているのが興味深い。

☆私学の研修プログラムは、やはり教養が前提条件としてないと外部のプログラムはなかなか受け入れられないのだろうと、納得した。

☆それにしても、研修と言えば、今はやりの「見える化」「形式知化」。マイケル・ポランニーの「暗黙知」の用語を使った野中郁次郎さんらの「ナレッジ・マネジメント」の知識経営論がベース。

続きを読む "私学市場の意義[08]"

|

一日一言 新渡戸稲造【007】

一日一言 新渡戸稲造【006】のつづき。

☆12月8日 慈善とは何か

人をあわれみ、貧困の人々を救ったと思うのは大きなあやまりである。・・・・・・人にわかるようにあわれみを施したのでは、それはもうあわれみではなく、かえってうらみをかうものとなる。

☆イエス・キリストは人にわかるようにあわれみを施したわけではないだろうが、たしかにうらみをかったのだろう。あわれみの徴に対する強烈なルサンチマン。

☆バブルとその崩壊も強烈だ。おそらくアリストテレスからではなく、人類誕生のころから、「中庸」というのが徳とみなされてきたのは、この爆発を回避する戦略だったのだろう。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【007】"

|

一日一言 新渡戸稲造【006】

一日一言 新渡戸稲造【005】のつづき。

☆12月7日 善言に耳を傾ける

良いことなら、たとえ子供の言うことであろうが、乞食が言ったことであろうが、また大きらいなかたきから伝わってきたものでも、耳をかたむけ、よくかみしめて味わえば、賢人の立派な言葉に値する。

☆色眼鏡で見ないようにとか、寛容であれということなのだろうが、なぜそれができないのかという理由がさらりと語られている。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【006】"

|

一日一言 新渡戸稲造【005】

一日一言 新渡戸稲造【004】のつづき。

☆12月6日 死に対する心構え

・・・・・・今年もいよいよ年の暮れが近づいてきたことは誰もが気付いているが、自分の寿命も次第に最後に近づいていることには気付かない。位の上下や貧富の区別なく訪れるのは死である。死期がいつ自分に訪れようと、死に対する心がまえを持っていたほうがよい。

☆死は自然へ還ることである。ということは自然状態か?近代の発想はこれを逆転したのだろうか。自然状態から社会契約へという発想。

☆しかし、実際には自然状態は死においてのみ存在するのかもしれない。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【005】"

|

一日一言 新渡戸稲造【004】

一日一言 新渡戸稲造【003】のつづき。

☆12月5日 人との交流の道

広く人々を愛することを、思いやりという。思いやりは世の中で人々が親しみ合ううえでの道理である。たとえ心の良くない人でも、この心を忘れてはならない。・・・・・・思いやりの心を持っているということは、自分の人格を高めるもので、広く人と接し、徳を持った人を自分から慕って親しく交際すべきである。これは荻生徂徠の教えである。

☆ハッとさせられる一言だ。思いやりと良き心は必ずしも相関しないというのだから。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【004】"

|

伸びる学校[063] 村田学園小石川女子中学校

☆本日(2009年12月5日)、村田学園小石川女子中学校の説明会があった。かつての同僚も説明会に足を運んでおり、これから期待したい学校であるという話も聞きながら参加できた。

☆ほっと安心できるホスピタリティのある説明会。ここにも目立たないけれど小さな野のすみれが咲いているなぁと素直に感じた。

☆小石川女子の目標は「サイエンスレディ」を育てること。だから「論理的思考」の育成の特別なプログラムを1つの柱にしている。そういうと物事を客観視する冷たさを感じるかもしれないが、実はそうではない。

☆科学的思考をノーベル賞受賞者のモノの見方に重ねて説明されているときに、あっと気づいたことがある。それは、科学は、「なぜだろう~」という問いかけから始まるという言葉の中にある。実はこの問いかけは、他者や物事に心が開かれていないと生まれてこないのである。

続きを読む "伸びる学校[063] 村田学園小石川女子中学校"

|

私学市場の意義[07]

私学市場の意義[06]のつづき。

☆「中学受験と私学中等教育11月号(2009年11月15日)・編集発行(株)森上教育研究所」で、白梅学園清修中学校の戸塚丈夫先生の数学実践のケースが紹介されている。

☆Z会マスターコース講師の石田浩一氏のセミナー報告レポートであるから、おそらく戸塚先生が、セミナーで発表されるように依頼されたのだろう。

☆発表された内容は、各学年で年間通じて探求されるテーマ学習のうち中2の「未来予測プログラム」。身の回り・世の中の出来事についてデータを収集し、分析し、さらに未来を予測するとどうなるかについてグループで探求して発表するプログラムだ。

☆人口問題、地球温暖化の問題、自動車生産台数、携帯電話の生産など、それぞれ関連データを調べ、そのデータの意味や未来はどのようになるのか予測した例が紹介されたようだ。

続きを読む "私学市場の意義[07]"

|

私学市場の意義[06]

私学市場の意義[05]のつづき。

☆「中学受験と私学中等教育11月号(2009年11月15日)・編集発行(株)森上教育研究所」には、「09年春早慶上智実績と予想偏差値」の相関グラフと、「09年春MARCH実績と予想偏差値」の相関グラフが掲載されている。

☆これによると、早慶上智の実績と中学受験時の偏差値は相関があるが、MARCH実績と偏差値の相関はそれほどないという結果になっている。

続きを読む "私学市場の意義[06]"

|

一日一言 新渡戸稲造【003】

一日一言 新渡戸稲造【002】のつづき。

☆12月4日 心配事

心配事をためておくことは、食いだめと同じで何の役にも立たない。ただ、食事は時間を決めて、あらかじめ注文することができるが、世の中のことは予想通りにはいかないので、これまでの心配は無益なものとなる。平素から胃腸を丈夫にしておくことが重要であるように、日頃からものの判断力を養っておけば、何かあったときにとまどうことはない。

☆新渡戸稲造は、さらりと書いているけれど、この判断力がそう簡単に身につけば苦労はしない。

☆だいたい判断力とはそもそも何なのか?選択に迫られたときに、自己の自由意志に基づいて決断することだと仮にしたとしても、そもそも選択肢そのものが最適のグル―ピングなのだろうか。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【003】"

|

一日一言 新渡戸稲造【002】

一日一言 新渡戸稲造【001】のつづき。

☆12月3日 怒りの向けどころ

怒らなければならない人に怒るのは当然だが、その怒りを罪もない人に向けるのは、おろかなことである。だが、役所や店などで争いごとを起こし、その怒りを我が家に持ち込んで、何も知らない家族にあたり散らすようなことは、この世の中に少なくない。

☆怒ってはいけないとか怒ることは悪であるということでもあろうが、そのような道徳的な戒めととらえるのではなく、怒りの感情の怖さとは何かということを考える言葉ではないか。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【002】"

|

私学市場の意義[05]

私学市場の意義[04]のつづき。

☆昨日12月2日、成田空港で2つの私立中高一貫校がすれ違った。片方は帰国。もう片方は出国。前者は白梅学園清修の高校1年生。後者はかえつ有明の高校2年生である。

☆白梅学園清修はオーストリア→スイス→ストラスブール・パリへと旅をしてきたし、かえつ有明はイギリスそしてパリへ旅立った。

☆両校とも学年全員でというのである。海外研修や修学旅行は多くの私立学校で行っているから、これも立派な私学市場の一部を形成している。

続きを読む "私学市場の意義[05]"

|

学力格差は「きずな」差であるコトとは?

☆日経新聞(2009年11月30日)の教育ページで、志水宏吉大阪大学教授が、これまでの全国学力テストを分析して、子どもの学力格差を生む主な要因が、都市部と地方との間の「都鄙格差」から、子供と地域や家族との「つながり格差」へ移行したと指摘している。

☆豊かな社会関係資本は、かつては都鄙格差があったが、今日では地域の違いではなく、人間同士の絆の濃密差にあらわれているということだろうか。

☆たしかに、学力テストのアンケート調査とテストの結果のクロス統計をとっていくとそういうことが言えるのだろうが、膨大な税金をつぎ込んだ割には、当たり前の結果ではないだろうか。

☆むしろ社会関係資本とは何か、絆とは何かを追究しなければ、何の解決も生まれないのではあるまいか。コミュニケーションの構造は、かつては同質だった。だから、都鄙格差が生まれたのだ。機会と投資の量によって格差が明瞭だったのだろう。

☆ところが今日は、コミュニケーションの構造に差異がある。どんなに機会と投資量を増やしても、ある一定のコミュニケーション状況では、学力は伸びない。

☆では、そのコミュニケーションの構造の差異とは何か?それはまだ解答がでていない。というより政府も教育委員会も当たり前すぎて興味と関心を持っていない。

☆学力差はコミュニケーションの構造の差と相関するのは、あまりに当たり前なのだ。だからこそ、気づかなければならないのに、看過してきたのだ。

|

仕分けで英語ノート配布廃止 公立教師の反応

☆読売新聞(2009年11月30日)によると、「小学校英語の必修化を前に文部科学省が無償配布している補助教材「英語ノート」の予算が、政府の「事業仕分け」で廃止になり、全国から困惑の声が殺到している」という。

☆デジタル化でネット配信できるから不要というのも、わからないわけではないが、あまりに合理的。教材は、生徒の学びの状況によって制作されるから、ネット配信しても有効ではないだろう。

☆だから、そもそも教科書に依存しなければならない一部公立教師の反応も、よろしくない。

☆それにそもそもなぜ小学校から英語なのかという政府の発想も、もう決まったことだからというのではなく、友愛社会にあって、多言語を学ぶのは当然なのに、論理が脆弱すぎる。

続きを読む "仕分けで英語ノート配布廃止 公立教師の反応"

|

一日一言 新渡戸稲造【001】

☆新渡戸稲造は、近代日本の光の部分を拓いた国際人であり、≪私学人≫であった。新渡戸稲造のその思想は、世界大戦を止めることはできなかった。しかし、戦後その近代国家の闇を払拭する大きな思想として継承された。

☆しかし、それは2006年の教育基本法改正に向けて徐々に失われた。その過程の中で、台頭したのが価値観の軽視により自分の興味と関心のあることにしか反応を示さない消費者の出現。ポストモダニズムの氾濫といわれているが、2008年秋のリーマンショック以来、その無意識のゴースト化に抗う思想や政治が再び生まれている。

☆オバマ政権や鳩山政権を支える思想は、果たしてその流れにあるのだろうか。歴史はそう簡単ではあるまい。だが、新渡戸稲造や内村鑑三の思想は今もなお生きている。それは特に私立中高一貫校の存在意義として生きているはずだ。

☆もちろん、それを自らに背負っているのはすべての私立中高一貫校ではない。しかし、その精神をなんとか継承しようとしているところもあるのも否めない。

続きを読む "一日一言 新渡戸稲造【001】"

|

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »