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宮台真司氏の民主化パラダイムと私立学校

☆「民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)」宮台 真司・福山 哲郎対談は、明治以来の私立学校の教育における位置づけをなぞることができる。

☆私立学校のことを直接語っているところはないが、政治経済のパラダイム・シフトの話は、政治経済を支える教育政策に密接にかかわっているから、教育のパラダイム・シフトの話とほぼ置き換えられるのだ。

☆宮台氏は、日本は明治以来民主主義を実現していなかったが、民主党の政権交代が、それを果たすのではないかと考えているようだ。そのパラダイムシフトを四象限図式で表現している。

Photo ☆「権威主義(国家主義)―参加主義(市民主義)」、「談合主義(コーポラティズム)―市場主義」という2軸で表現している。図は、同書で図式されているものとは軸の取り方が違っている。

☆しかし、内容的には変えていない。このように組変えたのは、クオリティスクールと私が称しているものと重ねたかったからだ。

Photo_2 ☆ただし、この民主化四象限図式が、私のクオリティスコア四象限図式に完全に重なるわけでは決してない。

☆宮台氏の民主化図式をみると、乱暴ではあるが、第3・4象限は、公立学校の領域であり、第1・2象限が私立学校の領域に重なるといってよいと思う。

☆明治以来近代官僚学校は、官尊民卑で談合主義。その修正が小泉自由党ではあるが、権威主義であることには変わりがない。この近代官僚学校に対峙していたのが、私立学校である。その多くは啓蒙主義的思想やキリスト教的精神、横断的でエコを大切にする仏教的精神に基づく建学の精神に拠っていたから、当然官学とぶつかってきた。

☆しかし、民主党の政権交代によって、友愛思想という談合主義で参加主義の欧州型政治経済パラダイムにシフトするわけだから、私立学校をモデルにする公立学校も生まれてくる可能性がある。したがって、私立学校が教育のリーダーシップをとる時代が到来したのだ。

☆ただし、だからといって私立学校は民主党を応援するのかというと、それはまた別問題である。民主党が意図してパラダイムを変えたわけではなく、時代の要請がそうさせたわけで、つねに退行・反動はあり得る。私立学校はつねにそこはクリティカル・シンキングで立ち臨まねばならないだろう。

☆さて、クオリティスコア四象限とは、宮台氏の民主化四象限の第1・2象限をさらに4つの象限にわけたものだ。

☆宮台氏も語っているが、米国の政治経済のパラダイムはキリスト教が前提。氏は宗教国家とまでいいきっているが、市場とプロテスタント倫理が融合されているのがアメリカの特色。そういう意味では宗教倫理のない市場主義という私立学校もある。

☆また談合主義の中で、教育理念が現代化されていないトラディショナルな私立学校もある。

☆私が確認したかったことは、私立学校と公立学校の違いを大学進学実績の多寡で説明してきた従来のものの見方は、あまり意味がなかったということである。象限つまり次元あるいは土俵、パラダイムが違ったのだから、その差異を度外視して比較しても基準が違うということなのである。

☆判断基準が違うのに比べようがないだろう。

☆今後はパラダイムの違いを理解したうえで、公立か私立かを選択する必要があるだろう。そして公立中高一貫校は、権威主義で談合主義のパラダイムに属していることは言うまでもない。

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