受験市場変容の中の中学受験市場の優位
☆長引く不況の影響で、受験市場全般が低迷するようにみえる。みえるというよりもその通りなのだが、実際には長引く不況というお金の影響というより、なぜ不況になったのかという社会構造の閉塞状況が根っこで影響していると読んだ方がよいかもしれない。
☆お金の問題は確かに重要である。しかし、不況になった原因は、哲学放棄の市場とその商品を支える哲学なしの技術開発の社会構造というか産業構造が立ち行かなくなったということが、受験市場の低迷を生んでいるのだろう。
☆当たり前と言えば当たり前だが、金さえあればという考えが政府にも蔓延しているわけだから、どれだけこの構造転換をとらえているのかわからない。
☆今までは、クリエイティブな才能なるものは、大学で学ぶから、知識や基礎的な道筋を思考するという意味で論理的思考を中等教育でしっかりやって欲しいというのが一般的な志向性だった。
☆ところが哲学放棄が大学の研究を学としてではなく、思想なき技術開発という方向に走らせた。おのずと大学入試問題もスキル中心の問題になる。かりに論述の入試だとしても、そこで問われているのは思想ではない。技術の可能性とせいぜい法律による規制という意味での狭い倫理観が発想してあればよいものになった。
☆だから大学の現代思想も、マニュアル化されパターン化された思想教科書になってしまっている。
☆何を言いたいのか。この大学の学としてではない研究や企業研修のようなコミュニケーションデザイン能力の学科が増加しているが、このレベルの発想は、実は東京エリアの私立中高一貫校ならどこでも特別講義やプログラムでこの10年しっかり実践してきたのだ。
☆私立学校の自由なカリキュラムの発想と生徒が何を知的刺激として学ぶかという聞く耳をもったコミュニケーションシステムが、中高のカリキュラムう先取りを超えて、大学の創造的研究の先取りまでしてしまったのである。
☆だから、開成でも本郷でも、潤沢な知識と論理思考を6年間で学び、東大に行こうというのは最優先課題とならなくなったのである。昨日の私学人の集いに開成と本郷の先生方も参加していて、いろいろ話を聞いたが、どうもそういうことらしい。
☆東大や早慶に進学をするのは、すでに両校のような私立学校ではマイケル・ポランニーの言う意味での「暗黙知」になっていて、つまり当たり前になっていて、もっと次のステージや幅広い知的刺激を求めるようになっているというのだ。
☆本郷の校長北原先生は、大学進学の成功はもちろんだが、それ以外のいろいろな領域で「格好いい」自分を実現するという方向が、今の本郷の雰囲気だと語られる。品格もあり自分の好きなことにまい進している姿は、他者から見てもたしかに憧れの存在だ。
☆大学研究の低迷ということなのだろう。これは日本だけでのことでは実はない。フラット社会、知識基盤社会というのは、当たり前になったから、それほどマスコミは騒がないが、それは消えたのではなく、暗黙知化したのである。だから、中等教育と大学研究の差がだいぶ縮まったのである。
☆高大連携なんていっている間に、大学もたいへんなことになっているのだ。あのローティでさえ、中等教育では、知識と論理をしっかりやって創造的才能は大学からでよいと言っていた。しかし、社会の方は先に進んだのだ。もちろんこの変化を学として認識するにはさらに時間がかかるだろう。
☆だいたい学は空が灰色になてからやっとミネルバのフクロウを出動させるから、時間のズレが生じる。しかし、社会はそんなのを待つことをしない。
☆さて、そういう中で、中学受験は麻布学園や開成学園、武蔵、桜蔭の入試問題を見えれば、論より証拠、創造的な才能をテストしてみたいという欲求がある。それに向かって中学受験は行われているから、無意識ではあるかもしれない、いや暗黙知化されているのだろうけれど、社会の変化を先取りしていたのだ。
☆だから、学研のような教育産業が、経営状況の問題もあるのだろうが、中学受験に参入してきた。栄光グループのように中学受験市場から私学市場を見出そうというチャレンジが行われてきた。逆に中学受験以外のすべての受験市場や教育産業の覇者であるベネッセは、知識と論理をトレーニングする教材をがっちり持っているがゆえに、今さらパイの小さい創造的才能を養う中学受験には手を出さないのであろう。
☆日能研は、本来創造的才能を養うベクトルに中学受験を向けていたが、一般的な受験市場に憧れをもったのか、どこかでブレがでてきたのだろう。麻布や開成を知識と能力のトレーニングだけで合格させようとどこかで方向転換したのだろうか。つまり、合理的経営ということだ。創造的才能は非合理的というより超合理的、つまりトランス合理性でトレーニングするしかない。
☆SAPIXは、そんなことを意識しているかどうかわからないが、もともと前身の塾時代から、燃え尽きない頭脳をがコンセプトだった。それが今も伝統として継承されているのだろう。日能研も、同じ意味で輝く目をもつ子どもを!と応援していた。しかし、もしかしたら子ども目線(ビゴツキーのいう意味での最近接領域、公文公のいうちょうどの学びという意味)という言葉が、顧客満足という限定的な意味で社内に浸透してしまったのかもしれない。
☆受験市場の変質の中で、中学受験市場の優位性をどこの塾・予備校が脱構築するか。大変興味深い時代に突入している真っ最中なのではあるまいか。
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