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良い教育をすれば生徒は集まるか

☆このところ私立学校の先生方と対話しながら、アハ体験したことがある。それは「良い教育をすれば生徒は集まるか」というテーマについて議論をしていたときだった。

☆一般には、どんなに良い教育をしてもそれをきちんと発信しなければ生徒はなかなか集まらないと言われているし、私もそうだと久しく思ってきた。

☆そんなとき、「それだと本間さん、発信の仕方次第で悪い教育でも生徒は集まるということですか」と問われた。「まあ悪法も法ですからね」と。「そんなことないでしょう。本間さんって、そう言うけど自然法論者でしょう。まあ、J.デューイ的なヘーゲルなまりのプラグマティストって感じもするけれど、ものすごく古い時代に位置していますよね。現代思想のジャーゴン使うから、わけわかんないと言われるでしょけど。アリストテレスですよね」と。「いやそこまではわからないし、結局真剣にそこらへん著作を読んでいるわけではないから、自分でもわかりませんが。ただ、教育言説以外の言葉を使った方が何かが浮き出てくるかなと・・・。」

☆「でも、ハーバーマスとかルーマンとか使いないがら、そうでないとアリストテレスまでいかなくても中世ぐらいまでは遡るでしょう」と、最近再び学問的な話題を仕掛けてくるけれど極めて実用的な広報の先生方と出会うようになった。

☆良い教育というのは、どうも学としての基盤がありながら、それを前面に出さない教育であるようだ。

☆良質だと業界で思われているパッケージプログラムをそのまま導入している場合、良い教育とは言わないようである。かりにそれを導入してもレディメイドにする創意工夫が教育の中にないと良い教育だとは思わないと。

☆やはりオリジナルがキーだと。ところが教育産業はそれでは儲からない。オーダーメイドだと手間暇かかる=コストがかかり利益がでない。だからパッケージ化する。それをまともに導入する学校が良い教育をしているなどと学内の教師は思わない。そういう教師がいる学校は伸びる。伸びるというのは実績も出すから生徒も集まるという認識。

☆「だから良い教育しているのに生徒が集まらないというのは、本当に良い教育をしているのではないのだということでしょう。本当はそう言いたいんでしょう。言いたいこと思い切って言った方がよいよ」と問われる。

☆「本物に触れさせたいといって、学的話を難しいからわかりませんなんて言うのは、ほんとうはおかしいでしょう」とはまた別の私立学校の先生。

☆なるほどなと思いながら、お互いに「とはいえ、自分たちがもっと勉強しなくてはね」ということになる。

☆「本当に良い教育をしている先生がいる学校もあるけれど、それが学内で賛同者が広まらなかったり、それを学校一丸となってやろうという合意形成ができていなかったりする場合は生徒は集まらない。どんなに広報しようとしても、広報担当の教師が納得がいってない場合はなおさらですよ」とまた別の私立学校の先生。

☆「20%80%の理論もありますよね。20%の先生がよしやろうとなると、学内にあっという間に広まりますよ」という先生も。そして「そうすれば実はそれこそが広報になる。1人の人間の知り合いを5人か6人たどいってけば世界の人とつながるという心理学者がいますからね。学校全体で理解して取り組めばあっという間ですよ。」と若い先生。

☆「私学市場と受験市場の違いがそこにはありますね」と話を向けてみると、「そういうことですな」とイノベーターの先生がぼそっと回答する。

☆しかし、恐ろしくなった。よくよくこの話を詰めていくと、学としての体系思考やそれ自体に対するクリティカルシンキングをしようとしない人材は良き教育の支援なんぞできませんよと先生方に私自身が言われていることになるからだ。精進あるのみだと今さらながら自戒。

☆K中のI先生やY先生は、学的な背景のある教育の議論でめちゃくちゃ盛り上がり、現実を前にさっと実用的な手腕を発揮する。N中のU先生やS先生も目を輝かしてオリジナルに組かえる。S中のS先生は、自分流儀のメタファーに置き換えすぐに導入する。大事なのはトランスフォームの志向性。

☆O学園のY先生自身、大学院で社会学を専攻してきたからこの手の話は大好きだ。K中のW先生もソクラテス的問答法で盛り上がる。A中のH先生はご自身が読書会で生徒とその手の議論で盛り上がる。私学の系譜について情報交換もしてくださる。S学園のM先生も日々新たなりと探究の道を歩み続ける。T学院のM先生やA先生は実際にものすごく多い人数の大学の先生の話をダイレクトに生徒たちに結び付ける知的力量のある教師。K学園のI先生自身大学でも教べんをとっている。

☆M中のM先生は孤軍奮闘、私学人としていばらの道を歩んでいる。学としての教育を、信念の教育をと。H学園のK先生もとにかく本物志向。S学院のH先生は、実務とアートの境地をいったりきたりしながら、私学の精神の守護神になっている。Y学園のK先生、Y先生、S先生の生き様、T学園のS先生の生き様も同じようにすさまじい。O学園のS先生は全国のクリスチャン学校を経巡りながら、私学の系譜を脱構築しようとしている。

☆結局良い教育の原点は、私学人の生き様そのものにあるということだと改めて感じた2009年だった。

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