一日一言 新渡戸稲造【037】
一日一言 新渡戸稲造【036】のつづき。
☆1月7日 意志は運命を拓くもと
・・・・・・孟子も「求むれば則ち之を得、捨つれば則ち之を失ふ」と言った。「門を敲けば開かれる。求むれば必ず与えられる」とはキリストの言葉である。
☆孟子、キリスト以外にナポレオンについても言及している。「彼は意志を乱用した傾向はあったが、確かに大英雄であった」と。
☆宗教や信条を超えて、真理を見出そうとする姿勢は、今の国連にもある。普遍的な精神を求めることに対し、批判もあるが、批判されればされるほど、より普遍的に強化される精神。
☆一神教の中でも実は普遍的な精神は、人間からみるとローカルだから、常に批判をという解釈学が深められている。多神教の場合、一見普遍的精神はないように見えるが、どうなのだろう。日本の文化は一神教的ではない。普遍的精神を見出す認識や感性がなにのだろうか。
☆しかし、一なるものは多であり、多なるものは一であるというプラトン的な発想もある。
☆キリスト教も実存的なものは多派に分かれている。個と普遍の関係については永遠の課題なのだろうか。
☆この課題にある程度の見通しが立たないと、意志の問題はなかなか難しい。普遍的精神を志向する意志なのか、そもそも普遍的精神がないから、個人的関心への意志なのか・・・。
☆意志とは欲求なのか、自己への義務なのか、自己忍耐なのか、存在そのものなのか。マズロー的には欲求か。禅の境地から言えば、存在か。
☆中学受験はいっけん個人の欲求だが、教育理念の貫徹している組織に入門するのだから、個人の欲求の向こうにはもっと別の大きな存在があるのかもしれない。
☆受験当日、学校の門をくぐるときのあの厳かな雰囲気に、個人の欲求から大きな存在に向かう構えがあるのかもしれない。受験という現象は、やはり大きく変わるきっかけでもある。改めてそう思う。
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