一日一言 新渡戸稲造【042】
一日一言 新渡戸稲造【041】のつづき。
☆1月12日 人を測るということ
他人の苦しみや楽しみを、たとえ理解したとしても、その度合いは容易に測れるものではない。・・・・・・何事も自分の考えで他人の苦痛を理解することはできない。
☆実存的だと読み取ることもできるが、新渡戸稲造の思想の現代化を優先すると、理解は客観的な認識という限界があるから、主観性を排除するか、どこまでも大事にするか、それが問題だと読み取ることもできよう。
☆もしどこまでも大事にするならば、その構えは実存的だろう。しかし、実存的決断は、新たなリスクが生まれる。基準の不安定さ。それゆえコミュニケーションはより豊かなになると同時にカオスも生みだす。
☆新渡戸稲造の時代は、時代そのものがカオスそのもの。そこをどう解決するか。客観的な認識が重要だったのだろう。しかし、そのリスクを新渡戸稲造は感じ取っていた。しかし、その主観性を大事にする社会ではなかった。新渡戸稲造の痛みを理解できていたら、戦争に突入することはあるいはなかったかもしれない。
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