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一日一言 新渡戸稲造【050】

一日一言 新渡戸稲造【049】のつづき。

☆1月20日 善行に遠慮は不要

人の世話をすれば親切ぶると言われ、読書をすれば学者ぶると言われ、自分の考えを述べれば利口ぶると言われ、真面目になれば君子ぶると言われても、人の言葉を恐れていたのでは、電車で他人に席を譲ることも、書店で本を買うこともできない。自分の心の信じることころを実行しないことのほうが、じつは「ぶる」ことの極みなのだ。善いことを行うのに遠慮は無用なのである。

☆これは当時の日本の文化が、親切とか読書とか考えるとか真面目とか信念を通すとか、そういった行為は人間なんてしないというネガティブな背景をもっていたということだろう。だからそういった行為を実際にすると信じられない、なにがんばっているんだということになる。

☆そんなできないことをがんばるのは野暮だよ、どうせ「ぶる」なら粋な意匠を凝らせと・・・。

☆キャラクターとキャラの捉え方は、この当時の社会的背景を継承しているのだろうか。「キャラ」化は基本茶化す時に使っている。お笑いとかアニメにでてくるとき、ユーモアだと考えてられているかもしれない。

☆しかし、それは真実から目をそらすというズレが面白いのだろう。真実はとかく権威主義的だったからというのもある。

☆彼の言動は重いよ、もっと軽くできないのかなあというときはキャラクターを前面に出さずにキャラで表現してよということか。

☆キャラは野暮ブルのではなく粋ブルものなのだとすると、明治以降の近代日本の文化的背景は変わらない。野暮はいじめと排除の対象なのかもしれない。だから粋ブル「キャラ」で生き抜こうとする。

☆マスメディアがいじめの構造を同調させているリスクもあるか・・・。ともあれ、この判断は難しい。ここでは論じつくせない。

☆ともかくともあれ、新渡戸稲造の発想は、一日一言を読んできて「知行合一」であることは判明している。真実を表現する野暮ブルことに迷いはない。

☆これは≪私学の系譜≫の構えそのものだ。ただし、これでは今の生徒はこない。なにせ粋でないと。とするならば、戦略的には、粋ブル中に真実もきちんと含有する知行合一を実践するしかない。

☆真実を粋に語る創意工夫。ファッショナブルに語るでもよいのだが、ともあれ、本日20日は、東京の≪私学の系譜≫である私立中高一貫校の生徒募集が始まる。

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