« 一日一言 新渡戸稲造【033】 | トップページ | 受験市場から教育多層市場へ [10] »

受験市場から教育多層市場へ [09]

受験市場から教育多層市場へ [08]のつづき。

☆受験市場や教育市場から私立中高一貫校を見た場合、どうしても積極的に語られない市場がある。それは家族市場である。

☆19世紀末から20世紀初頭にかけて、神は死んだ、西欧の没落などという思想が語られた。20世紀末から21世紀初め、つまり今日にかけて、歴史は終わった、人間は終わった、アメリカは終わったとフランシス・フクヤマは語った。

☆フクヤマに限らず、価値は相対的になり、基準は不透明になり、大きな物語は喪失したというのが定説になっている。帝国から国家、国家から個人へと近代は突き進んでいるから、当然と言われればそうなのだが、こんな崩壊の過程でよいのだろうかという時代の雰囲気も一方である。

☆なぜなら、世界や国家の葛藤や崩壊するのではないかという出来事が、家族という身近なところでも起こっているからである。

☆中東の子どもたちの悲惨さに比べれば、はるかに日本の子どもたちは幸せだと思われているが、果たしてそうだろうかという見方もある。かつて来日したマザー・テレサは、すでに日本の豊かさは心の空洞化によって成り立っていることを見抜いていた。

☆私立中高一貫校は、設立された明治以来、この危うさを感じ、建学の精神によって警鐘を鳴らし続けてきたし、教育を実践してきた。しかし、戦後の受験市場や教育市場は、この危うさに警鐘を鳴らすことはできなかったし、もしかしたら促してしまっているやもしれない。倫理なき市場経済は、そうなるのが必然なのだ。

☆ところがだ、いろんなものが個性化個人化のベクトルの中で、徹底的に終わっている。20世紀は近代化とエゴの葛藤の過程だし、それゆえ「クリエイティブ」な行為の抑圧だった。しかし、それらも飲みこむ「終わり」。

☆エディプス・コンプレックスも終わり、抑圧も終わり、あらゆるものがゴースト化する時代が迫っている。だから、家族も終わりなのだということになっている。ここでいう家族は、20世紀に浸透した核家族。自然の性に規定された男女の婚姻制度に基づいた家族を指すが、日本ではまだはっきり表れていないが、欧米ではその家族の制度そのものが既成事実に基づいて改正されているぐらいだ。特にフランスはすごい。

☆よいか悪いかはどう判断してい良いか、それこそわからないが、エディプス・コンプレックスを克服するのは、メタファーであり、パラドクスや矛盾を乗り越える心と知という精神の力によるものであった。それはもちろん道徳的な側面で語られ過ぎ、鬱屈した精神状態をたくさんつくってきたのであり、同時に精神分析や心理療法の市場が浸透したわけであるが、このエディプス・コンプレックスはもはやメタファーではない。

☆物理的な暴力として事実の世界でストレートに暴発しているのだ。ファンタジーの物語効果など効き目はない。ゴースト化して現実の世界で起こっている。

☆しかし、そんなことは例外として対応されているのが現状のような気がする。だから、20世紀型家族観を保守しようという道徳が強化されている。もはやフロイト・モデルは効き目がなくなっているのに、超自我による抑圧規制の明確化・強化。ますます、目には目を歯には歯を・・・。

☆この家族問題を解決するCCPのプログラムを生み出す家族市場が必要になってきている。これを私学市場ですべて解決しようというのは、現状のシステムでは無理が生じる。CCPという共通プログラムをもちながらも、私学市場と家族市場は連携しなければならない。

☆通信制高校やサポート校、特別教育支援の教育の領域は、まだまだ一般には知られていない。だから、制度化されていない分、臨機応変に柔軟に良き方向に向かう教育も行われていれば、受験市場に回収しようという動きもある。しかし、これは家族問題なのだ。

☆受験市場や教育市場の問題ではない。20世紀のパラダイムが崩壊あるいは転換する過程で、家族も終わりに向かう過程にある。そこで生じる歪や葛藤の問題をどうやって解くのかは、おそらく今後大問題になるだろう。

☆民主党の子育て支援の背後には、配偶者控除の廃止が控えている。専業主婦を家族に内包してきた20世紀型家族は終焉に向かうのだ。しかし、これは民主党の政策のせいなのではない。その流れを止めることができないだけなのだ。その動きを表現しているとしか理解することができない。

☆だから今、私学市場は、公共的な精神と個人の自律の両立の教育の実践を躍起となって行っている。システムが変わろうとも、普遍の人間の精神に基づいて、いや貫いてサバイブしていける人間教育以外に、あらゆるものが終わろうとしている現状で、最適最強の方法はないのだろう。

☆20世紀型家族の終わり問題。受験市場や教育市場はどう取り組むのだろうか。果たして取り組めるのだろうか。教育多層時代は、教育複合市場への過渡期だが、その途上で起こる事件はあまりにも惨劇となることが多いだろう。

☆進学重点校とか言っている場合ではないかもしれない・・・。

|

« 一日一言 新渡戸稲造【033】 | トップページ | 受験市場から教育多層市場へ [10] »

教育と市場」カテゴリの記事