受験市場から教育多層市場へ [10]
受験市場から教育多層市場へ [09]のつづき。
☆家族の終わりの過程(前回の話題)は、欧米では法制度的にすでに進んでいるが、日本は政権交代をきっかけにこれから始まるかもしれないという段階。
☆しかし、社会ではすでに先行していて、それがゆえに現状の制度基準と新たな動きとの間でズレが起き、自己責任の名で、そのズレに悩む個人は自分で対処・乗り越えねばならない段階。このズレは、しかし、多様多層な葛藤を生み、事件につながる場合も多い。
☆この葛藤を解決したいという現実がそれをニーズとみなして家族市場が形成される。市場というのは問題解決の場であり、市場が双方向性の特徴を有しているがゆえに、その草創期にあっては、クリエイティブ・コミュニケーション・プロジェクト(CCP)の力が発揮される。
☆しかし、その市場が倫理なき市場の場合、CCPはすぐに消失し、抑圧的で操作的な市場と化する。市場も草創期→成長期→衰退期→死滅期というサイクルに従う。それはあたかも里山と人間の関係のようでもある。要は、クリエイティブな行為の正当性と信頼性、妥当性が常にクリティカルな議論によってチェックされなければ、「終わる」のである。
☆ところがである、近代化が誕生してからこのかた、CCPが本格的に組織的にあるいは高度な暗黙知として稼働したことはない。市場はCCPの場ではなく、資本主義の利潤を生む場であった。したがって、その正当性と信頼性、妥当性は垂直権力や権威で、あるいはそれを背景とした尊敬で維持されてきた。
☆それゆえ、家族も、多くの場合、この抑圧組織を当たり前のものとして、家族組織と重ね合わせてきた。エディプス・コンプレックスの克服は、社会への同化の通過儀礼だった。
☆しかし、今の40歳代は、団塊・断層世代の次の新人類世代である。私立中高一貫校の受験生の親の年齢層は、この世代が多いだろう。家族それ自体が、抑圧組織とズレを起こしている。しかし、社会の方は相も変わらず、抑圧的な組織が学校、地域社会、日本国家を操作している。
☆偏差値や学歴社会へのこだわりは、このような抑圧社会で同化して生き残っていく指標である。だから、コンサバティブな家族は、この抑圧を家族内にストレートに持ち込むし、クリティカルな家族は、抑圧をフィクションとしてあるいはメタファーとして導入し、シミュレーションをする。リベラルな家族はそもそも抑圧を持ち込まない、CCPで生きようとする。この社会の動向を意識せず、あたかも運命のようにせまってくる社会の葛藤を解決できないパニックになっている家族は、責任を運命に帰する。
☆ところがである。グローバルな波はもはや止められない。コンサバティブな家族も、外との情報を切断しない限り、グローバルな家族の終わりの流れの影響を受ける。エディプス・コンプレックスがフィクションであることに子どもの方が気づいてしまう場合がある。
☆この場合、子どもは親の意に反して進路を選ぶということになる。しかし、それは本来的であるかもしれない・・・。
☆クリティカルな家族は親も子供も気づいているから、グローバルな流れによって、リベラルな家族に進化してしまう場合もある。クオリティ・スクールを選択しようという流れをつくっているのはこの家族の場合が多いだろう。もっとも、親はクリティカルだが、子どもは保守的という場合もある。逆エディプス問題の存在・・・。
☆リベラルな家族は日本社会を捨てるかもしれないし、よりリバタリアンになる可能性もある。だから、そもそも日本の学校に行くことに家族それ自体が興味と関心をもたなくなる場合も多いだろう。
☆パニックにおちいっている家族は、ますます運命を重視してしまうかもしれない。家族療法の対象の多くは今後このケースになるかもしれない。
☆抑圧型のコミュニケーションが効くのは、つまりエディプス・コンプレックス乗り越えをまともに通過儀礼としてみなせる家族は、もはやグローバルな家族の終わりの事態に気づいていないコンサバティブな家族であり、その家族の割合は、実際には多くないのではないだろうか。専門家による研究調査を期待したいところである・・・。このタイプの家族ではきっちり型の勉強スタイルが習慣化される。
☆またクリティカルな家族やリベラルな家族は、CCPの導入の仕方は大いに異なるが、その導入(といってもまだまだ意識的にではないが)により、エディプス・コンプレックス乗り越えの新しい方法の考案やその代替の工夫が作用している可能性がある。この違いは、クリティカルな家族の学びのスタイルはわくわく型で、リベラルな家族においては、のびのび型が習慣化されるところに端的に表れる。
☆パニックになっている家族は、おそらくフィクションの構築はできず、それがゴースト化を促進している可能性がある。このタイプの家族の子どもの勉強スタイルは、混乱型となる場合が多いだろう。
☆とにかく、受験市場や教育市場は、受験というものを少子化や不況という側面からとらえ、結果的に危機感をあおっている。マスコミは、基本的には依然としてエディプス・コンプレックス乗り越えの方程式を活用しているだろうから、ますますそうなる。
☆そんなことはないと言われるかもしれないが、マズローの五段階欲求説は、自己実現という言葉が浸透しているように、健在である。TA(交流分析)もまだまだ多くの研修で行われている。これらはフロイトモデルをプラグマティックにプログラム化したものである。
☆それもともかく、家族市場から眺めると、多様多層な家族問題を解決できる可能性の場として、私立中高一貫校を選択する動機がある。まして、≪女学生の系譜≫によって連綿と継承されてきたコンサバティブな核家族への抵抗は、21世紀になって再び脚光を浴びる。
☆シングルスクールの市場や新しい共学校の市場がある私立中高一貫校は、家族の終わりの後に来る新しい家族観のサポートに大きな力となるはず。
☆しかし、当面私学市場は、少子化と不況の影響を受けることも確かだ。家族市場はまだ生まれたばかりだからである。
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